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熊野一族7人殺害事件(くまのいちぞくしちにんさつがいじけん)とは、1980年(昭和55年)1月31日に三重県熊野市で親族7人が身内に殺された事件。犯行後に犯人は自殺。当時、帝銀事件に次ぐ大量殺人事件と報道された。 == 経緯 == 1980年(昭和55年)1月31日の昼過ぎ、三重県熊野市の農業を営む人物(当時44歳)の妻が、親戚に泣きながら「お父ちゃんがおかしくなった。」と助けの電話を入れた。 すぐに駆けつけた親戚らに妻は、夫がここ数日、体調不良で意味不明な発言を繰り返していたことを打ち明ける。やがて夕方頃、夫の状態が落ち着いてきたので、夫の姉(当時55歳)、義兄(当時58歳で姉の夫)、夫の弟(当時38歳)3人が飲み物を買いにライトバンで外出。その間、夫が突如、義弟(当時29歳で姉の夫の弟)に斧を振り下ろし、家族や親戚に次々と襲い掛かり殺していった。 義弟は血まみれで隣の鉄工所に駆け込み、驚いた鉄工所の経営者が夫の家に行くと、無表情の夫が猟銃で実の姉の夫である義兄を射殺しているのを目撃。鉄工所の経営者も足に銃弾を受けた。 鉄工所の経営者の妻などから119通報。救急車とパトカーが駆けつけるが、夫が猟銃を持って、家の周辺をうろついていて、近寄れず説得もできない状態が続く。夫が家に入ったところで警官が外から説得するも、猟銃自殺してしまう。 *玄関前に停車してあった軽トラの荷台に夫の義兄の射殺遺体発見。 *夫の斧から逃れようとしたのか、買い物に使用したライトバンから、運転席に夫の弟、後部座席に夫の妹(当時41歳)、夫の息子2人(当時4歳と5歳)がいずれも血まみれの遺体で発見。 *室内で夫の母親(当時80歳)と夫の姉が同じく血まみれの遺体で発見。 *夫の妻(当時38歳)は意識不明の重体、義兄の弟と鉄工所経営者は重傷。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野一族7人殺害事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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