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熊野三山本願所 : ウィキペディア日本語版
熊野三山本願所[くまのさんざんほんがんじょ]

熊野三山本願所(くまのさんざんほんがんじょ)は、15世紀末以降における熊野三山熊野本宮熊野新宮熊野那智)の造営・修造のための勧進を担った組織の総称である。
熊野三山を含めて、日本に於ける古代から中世前半にかけての寺社の造営は、寺社領経営のような恒常的財源、幕府朝廷などからの一時的な造営料所の寄進、あるいは公権力からの臨時の保護によって行われていた。しかしながら、熊野三山では、これらの財源はすべて15世紀半ばまでに実効性を失った(→#前史)。
それらに替わる財源を確保し、熊野三山の造営・修造に寄与したのが、15世紀後半以降に成立した熊野三山本願所で、類似する他の寺社の本願所と比べて際立って規模が大きく、一山ごとに独自の性格を持っていた(→#熊野三山本願所の成立)。熊野三山本願所は、各地に送り出した一部の熊野山伏・熊野比丘尼が募った勧進奉加を熊野へ送り届けさせること、また、熊野への巡礼者からの散銭を得ることを通じて財源を調達し、堂舎の建立・再興・修復を行う造営役としての役目を果たした。近世初期には新宮を首座として熊野本願九ヶ寺と称する本願仲間を形成し、連携して職務の遂行にあたった(→#活動と組織)。
15世紀後半以降、本願所は造営・修造を担う組織として機能していたが、熊野三山では本来衆徒が独占していた社寺の縁起や仏事・神事といった社役にも深く関与する様になり、三山の運営に大きな役割を担うようになっていった。しかしながら、他の寺社と同じく本願〔「本願」の概念規定は充分に定まったものではないが、ここでは豊島修の「中世後期以降近世初期にかけて諸国の寺社組織内に成立する、所属寺社の造営・修復に関わる実質的な運営管理や勧進を専門的に担った寺坊組織、またはその住持(本願上人)などの宗教者」27-28 とする概念規定に従い、本願所を拠点として造営・修復やそのための勧進を専門的に担った宗教者勢力を指す場合に本願の語を用いる。〕と社家〔「社家」とは厳密には神職を指す語である。とはいえ、熊野三山はそれぞれに異なる組織を持ち、例えば那智では神官が存在せず社僧のみが存在した。にも関わらず、諸史料において一山組織総体を指してしばしば「社家」と云う語が用いられ、太田・宮家など多数の文献に於いて、神職のみならず社僧をも含めた寺社一山の組織全体を呼ぶ語として「社家」が用いられている。本項目は、これらの用法に従う。〕の間には緊張関係があった。17世紀以降には、造営・修造と社役との聖俗両面における本願の役割を否定し、社内における主導権を奪い返そうとする社家と、一山に於ける地位を守ろうとする本願との間で相論が繰り返された。18世紀半ばには、近世以降の社家の経済的再建と江戸幕府紀州藩の宗教統制を背景にした社家の反撃により、本願の退勢は決定付けられるに至った。しかしながら、単なる造営役を越えて年中行事や祈祷に関する役目を担っていた本願を、社家は完全に排除することは出来ず、明治神仏分離まで存続した(→#衰退と終焉)。
== 前史 ==


本願所が成立する以前、中世における熊野三山の財源とされたのは、熊野山(本宮・新宮)・那智山へ寄進された三山経営そのものにかかわる各々の荘園〔堀370-378 〕、熊野御僧供米〔堀372 〕、造営料国・造営料所などであった。熊野へ寄進された荘園の早い例は11世紀末に遡ると見られ、その事例として応徳3年(1086年)11月13日付けの「内侍藤原氏施入状案」に見られる紀伊国比呂庄宮前庄の事例、次いで白河院寛冶4年(1090年)1月21日に「紀伊国二ヵ郡五ヵ所合百余町」を寄進した事例があげられる(『中右記』・『百錬抄』)〔宮家94-95 〕。これ以後、熊野別当修理別当在庁・三綱・熊野所司を始めとする熊野三山の執行機関が常陸国から日向国に至るまでの30ヵ所余りの荘園の執行実務に携わり、14世紀中頃まで熊野三山経営の中核を担っていたと考えられている〔宮家6-8、40-48 、阪本29-45 〕。
12世紀初め、白河院は三山経営と神社造営のため、元永元年(1119年)に紀伊国・阿波国讃岐国伊予国土佐国の5ヵ国から封戸50烟を熊野山に施入した(『中右記』元永元年9月11日条)〔が、大冶2年(1127年)に「熊野本宮御封十烟」の代わりに紀伊国「牟婁郡芳益村見作田伍町」の所当官物が便宜補填され、これがのちに荘園に転化したと推定されている〔堀365 〕。
なお、造営料国の寄進の早い例は12世紀末から13世紀初めにかけてと見られ、13世紀初めには熊野三山検校であった長厳に阿波国が寄進されている(『頼資卿熊野詣記建仁2年〈1202年〉)〔太田159 〕。承元3年(1209年)に新宮・本宮が火災に見舞われた際には、再建のためにやはり阿波国が宛てられた〔宮家102 〕が、阿波国はこの時期を下ると見られなくなる〔。
13世紀半ば以降、越前国文永2年〈1265年〉)、伯耆国正応2年〈1289年〉)などの例が見られるが、頻繁に史料中に現れるのが遠江国安房国である〔。遠江の早い例では、正元元年(1259年)に美濃国とともに那智の造営料国に宛てられた。一方で安房はもっぱら新宮の史料にのみ現れ〔太田160 〕、仁治2年(1241年)の『百錬抄』所掲の例〔宮家105 〕や13世紀末にさかのぼる例(「伏見天皇綸旨」〈1291年 - 1296年頃〉所掲)〔が見られる。遠江と安房はしばしばセットで造営料国に宛てられ、「後光厳天皇綸旨」(文和3年〈1354年〉)やその翌年付の鎌倉幕府の御教書にその名が見られる〔。
しかしながら、こうした造営料国・造営料所に依拠した造営・修造は15世紀に終わりを迎える。承久の乱承久3年〈1221年〉)以降、新たに地頭となった御家人の支配が各地の荘園に及ぶようになったほか、14世紀半ば以降、各種の史料に「遠江国国衙職」「安房国々衙職」といった表現が増え始めることに見られるように、造営料国が国衙職の得分に矮小化していった様子が窺われる〔。室町時代から戦国時代にかけては在地土豪の支配下に荘園が収められたことで、各荘園からの熊野への年貢は一部の上分米をおさめるのみになったが、それさえも滞りがちとなった〔宮家125-126 〕。新宮では徳治2年(1307年)に社殿を焼失したため、造営料国に宛てられた土佐国からの収入により再建を図ろうとしたが、妨害を受けたために充分な収入を得られなかった。新宮は、後光厳天皇の綸旨を得て足利義詮に徴収を委ねなければならなかったが、その実施には困難を伴った〔宮家109-110 〕。貞和元年(1345年)には、那智尊勝院領のあった伊豆国の荘園からの年貢が11年にわたって未達であったため、熊野三山検校によりあらためて安堵されなければならなかった〔宮家110-111 〕。
こうして造営・修造の財源として機能しえなくなった造営料国・造営料所〔にかわり、三山の造営・修造の財源とされたのが、棟別銭や段米・段銭であった。棟別銭徴収の早い例は、貞治5年(1366年)頃に播磨国松原荘(石清水八幡社領)などで新宮造営のために徴収された例が見られる〔〔宮家110 〕ほか、『熊野年代記』には三山造営のための「諸国棟別」(応永33年〈1426年〉)、那智造営のための京・和泉河内での徴収(文明10年〈1478年〉)といった例がある〔太田161 〕。段米・段銭では、14世紀前半に段米が和泉・美濃などで確認され、次いで15世紀前半からは段銭が見られるようになる。国段銭と安房国衙職をもって新宮遷宮に宛てる旨の応永26年(1419年)の室町将軍家御教書を初例とし〔、永享5年(1433年)には新宮造営料として紀伊国から段銭を徴収するようにとの御教書が発され〔宮家115 〕、紀伊のほか丹波や伊豆に宛て課されていた〔太田161 〕。これら15世紀前半から中葉にかけての段銭は造営料国に入れ替わるように出現し、造営料国は史料上確認することが出来なくなる〔太田160-161 〕。
だが、こうした棟別や段銭による財源の実効性は室町幕府を頂点とする守護体制の実力に依存していたため、室町幕府の支配が弛緩してゆく15世紀半ばにはほとんど依拠しえなくなる。この時期にも存続した造営料所として、新宮に属した紀伊国高家荘があるが、15世紀半ば以降、畠山家の内紛に巻き込まれるかたちで繰り返し濫妨に見舞われて〔、ほとんど不知行であったと見られ、延徳元年(1489年)には、新宮の神官らが紀伊国内の所領が有名無実化したと窮状を幕府に訴えている。以上のように、15世紀初までに造営料国を、15世紀後半までに室町幕府支配を背景とした公的保護を失った熊野三山は、以後の造営・修造のための財源を他に求めなければならなくなったのである〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「熊野三山本願所」の詳細全文を読む



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