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熊野 義孝(くまの よしたか、1899年5月9日 - 1981年8月20日)は日本の牧師、神学者である。植村正久、高倉徳太郎によって確立された、日本基督教会の福音理解に本格的神学表現を与えたとされている。新正統主義の立場の神学者であり、日本の代表的なバルト主義者の一人。 == 生涯 == 早稲田大学を中退後、東京神学社神学専門学校に学び、植村正久に師事する。1931年徳沢清子牧師と結婚して、武蔵野教会に50年間使えながら、日本神学校で教える。戦後は、東京神学大学教授として、キリスト教教義学の体系化に努めた。その神学の特徴は、キリスト教の歴史と信仰を、神のことばと教会を基盤として論理化しようとしたものであった。 1955年、著書『基督教講座』で、神学諸科課題を日本では最初に詳細に取り上げた。1962年「基督教概論」で京都大学文学博士。 1980年キリスト教功労者の表彰を受ける。 日本キリスト教協議会(NCC)の『キリスト教大辞典』(1963年)の「教義」「教義学」等を執筆。バルトの「神のことばの神学」が書かれている。 『基督教概論』では新正統主義のカール・バルトとキリスト教の絶対性を否定したエルンスト・トレルチを統合する神学を展開。キリスト教根本主義を逐語霊感、機械霊感と見なしている。〔『基督教概論』〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「熊野義孝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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