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燁司 : ウィキペディア日本語版
よう司大[ようつかさ だい]

司 大(ようつかさ だい、本名:鈴木 大司(すずき だいし)、1973年9月25日 - )は、三重県松阪市出身で入間川部屋所属の元大相撲力士である。現役時の体格は身長179cm、体重153kg、最高位は東前頭11枚目(2004年1月場所)。得意手は突き、押し。血液型はB型。趣味は音楽を聞く事等。
== 来歴 ==
小学校4年生から相撲を始め、日本大学では全国大会に出場するなど活躍した。入間川部屋に入門し、1996年1月場所に幕下付出初土俵を踏んだ。同期には栃乃洋海鵬柳川らがいる。時間は掛かったものの着実に番付を上げて行き、1998年5月場所に十両に昇進するとともに、四股名を本名の鈴木から司に改めた。この司という四股名は、「火の出る様な相撲で華となれ」との願いを込めて入間川親方(元関脇栃司)が名付けた。
突き押しが得意で1999年5月場所には新入幕を果たしたが、立合いが遅く幕内には定着することができなかった。一時は怪我や糖尿病に悩まされ幕下まで陥落したが、復活して2003年5月場所には再入幕を果たし、2004年1月場所には自己最高位の東前頭11枚目まで番付を上げた。しかし、2004年3月場所を最後に幕内から遠ざかると、肩の怪我もあり十両下位に低迷した。
2005年9月場所は西十両13枚目で勝ち越しまであと1勝(これが現役最後の白星となった)となってからを痛め、3連敗で負け越し。翌2005年11月場所は遂に東十両14枚目まで番付を下げ、初日から14連敗で幕下陥落が決定的になり、千秋楽には幕下で7戦全敗の玉光国との取組が組まれたが同日に引退届を提出し、約9年の力士生活に幕を閉じた。取組は不戦敗となり、十両では2000年7月場所の星誕期以来(ただし星誕期は15日皆勤)となる15戦全敗を記録した(前の場所から合わせると18連敗)。
引退後は準年寄・司を襲名し、入間川部屋の部屋付き親方として後進の指導にあたる。現役最後の対戦相手は14日目、日大同期の海鵬となった。また、思い出に残る取組として、1999年3月場所に水戸泉に勝って新入幕を確実にした一番を挙げた。2006年4月15日には両国国技館大広間で断髪式を行った。そして2006年9月には、先代二十山親方(元大関北天佑)の死去に伴い、年寄・二十山を襲名し、2008年1月場所に栃乃花の引退・二十山襲名に伴い若藤を襲名、さらに同年9月場所後に関ノ戸を襲名、2009年7月場所の出島の引退・大鳴戸襲名および14代大鳴戸(元前頭・武雄山)の関ノ戸襲名に伴い小野川を襲名、2010年3月に北桜の引退・小野川襲名に伴い千田川を襲名、2011年4月6日大相撲八百長問題を受けて退職した22代竹縄(元前頭・春日錦)に代わって竹縄を襲名した。2012年1月22日年寄名跡所有者の栃乃洋泰一が引退し竹縄を襲名したため、同日付で相撲協会を退職した。
退職後は都内の清掃会社に勤務。
「」は機種依存文字(JIS X 0212JIS X 0213に収録)であり、代替できる漢字もないためインターネット上の記事では平仮名や記号等に置き換えられていたが、同時期の日本プロ野球に同じ「」の文字を使用する(イ・スンヨプ)が在籍していたことから、「ヨプ司」と誤記されたことがある〔スポーツ報知 2005年11月30日〕〔小野川親方が年寄「千田川」に名跡変更 スポニチアネックス 2010年3月9日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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