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燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地 : ウィキペディア日本語版
燈明寺畷新田義貞戦歿伝説地[とうみょうじなわてにったよしさだせんぼつでんせつち]

燈明寺畷新田義貞戦没伝説地(とうみょうじなわてにったよしさだせんぼつでんせつち)は、福井県福井市新田塚町に位置する古戦場である。新田義貞の戦没地であるという伝承に基づき、1924年(大正13年)に国の史跡に指定〔された。
==概要==
鎌倉幕府を倒す大功を立てた新田義貞は、後醍醐天皇に与し、湊川の戦いで京を追われた後北陸道方面に退いていたが、足利尊氏方の圧迫を受けていた。延元3年/建武5年(1338年)義貞は勢いを盛り返し、足利方が籠もる越前国藤島城を攻める味方を督戦するため、わずか50余騎の手勢を従えて藤島城へ向かうが、燈明寺畷(現福井県福井市新田塚町)で足利方と遭遇し、乱戦の中で戦死した(藤島の戦い)。
江戸時代明暦2年(1656年)、この地を耕作していた百姓嘉兵衛が偶然にを掘り出し、芋桶に使っていたところ、福井藩の軍学者井原番右衛門がこれを目にし、象嵌や「元応元年八月相模国」の銘文から新田義貞着用のものと鑑定した。万治3年(1660年)、福井藩主松平光通は兜が発見された場所に「暦応元年閏七月二日 新田義貞戦死此所」刻んだ石碑を建てた。このことから、この地は「新田塚」と呼ばれるようになった。
明治維新の後、明治3年(1870年)新田塚の近くに新田義貞を祀る祠堂が建てられ、同9年には藤島神社と号した。義貞着用とされた兜は松平家より藤島神社へ献納され、1900年(明治33年)、古社寺保存法に基づく国宝(現行法の重要文化財)に指定された。また、新田塚の古戦場は1924年(大正13年)に国の史跡に指定された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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