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爆弾三勇士[ばくだんさんゆうし]
爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)とは、独立工兵第18大隊(久留米)の江下武二(えした たけじ)、北川丞(きたがわ すすむ)、作江伊之助(さくえ いのすけ)の3名の一等兵である。1932年に第一次上海事変で敵陣を突破して自爆し、突撃路を開いた英雄とされる。肉弾三勇士とも言われた。 == 概要 == 第一次上海事変中の1932年(昭和7年)2月22日、日本軍が蔡廷鍇率いる国民革命軍19路軍が上海郊外(現在は上海市宝山区)の廟行鎮に築いたトーチカと鉄条網とクリークで守られた敵陣へ突入するため、鉄条網を破壊する作戦が決定される。この作戦に約36名が志願し、前述の3名が選ばれ、突撃路を築くため点火した破壊筒を持って敵陣に突入爆破。自らも爆発に巻き込まれて3人は戦死したが、鉄条網の破壊には成功した。戦闘工兵の任務の中でも非常に危険性が高いものではあるが、必死の作戦ではなかった〔半藤一利「特攻隊と日本人」『オール讀物』2010年7月号、p.224〕。 当時陸軍大臣の荒木貞夫がこの件を愛国美談に仕立て、爆弾三勇士(ばくだんさんゆうし)と命名〔三國一朗『戦中用語事典』岩波書店、1985年、p.77〕。大阪毎日新聞・東京日日新聞は「爆弾三勇士」を使い、大阪朝日新聞・東京朝日新聞は肉弾三勇士(にくだんさんゆうし)と称した。吉川弘文館『国史大辞典』では前者、平凡社『世界大百科事典』第2版では後者の名称により解説されている〔肉弾三勇士 (kotobank)〕。 3名は戦死後それぞれ二階級特進して、陸軍伍長となる〔当時の日本陸軍の階級に兵長は存在せず、一等兵の二階級上は伍長だった。〕。事件の直後2月24日には『東京朝日新聞』で「「帝国万歳」と叫んで吾身は木端微塵」、25日に『西部毎日新聞』で「忠烈まさに粉骨砕身」、『大阪朝日新聞』で「葉隠れ主義の露堂々」など、美談として広く報道され反響をよび、壮烈無比の勇士としてその武功を称えられた。軍国熱も高まり映画や歌にもなり、陸軍始まって以来ともいわれる弔慰金が集まった。 しかし、3名の死は技術的失敗によるものという説もあり〔上野 1971, 江崎 1958, 三国 1984〕、それによると「導火線を短く切断し、予め導火線に点火して突入したところ、3人の先頭に立った北川丞が撃たれ、3人とも倒れてしまいタイムロスを生じ、戻ろうとしたところそのまま突っ込めと言われたので、その通り突入し、目的地点に到着するかしないかの内に爆弾が爆発してしまった事故」とみている。同時に攻撃に参加した別の班(総勢35人)や、同じ敵陣地の別方面を担当した工兵部隊も同様の攻撃を行い、戦死者はこの3人の他にも出ている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「爆弾三勇士」の詳細全文を読む
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