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爛柯(らんか)は、囲碁の別称の一つで、中国の『述異記』などにある伝説に基づいたもの。 ==述異記などの伝説== 南朝梁の任昉『述異記』上巻に以下の故事がある。 :晋の時代〔中山典之『囲碁の世界』では春秋時代の晋とされているが、中野謙二『中国囲碁三千年の知恵』では西晋または東晋とされている。〕に信安郡の石室山に王質という木こりがやってくると、そこで数人の童子が歌いながら碁を打っていた。王質は童子にもらった棗の種のようなものを口に入れてそれを見物していたが、童子に言われて気がつくと斧の柄(柯)がぼろぼろに爛れていた。山から里に帰ると、知っている人は誰一人いなくなっていた。 この話は『述異記』が著名だが、虞喜『志林』(太寧3年(325年)刊)に記されているものが最も古い。『晋書』にも同様の話が所載されている。 北魏の酈道元『水経注』には、やはり晋の時代に、 :王質が木を伐りに行って石室に着くと、4人の童子が琴を弾いて歌っていた。王質はこれを聞いていたが、しばらくして童子が帰るように言われると、斧の柄が爛し尽くされており、家に帰ると数十年が過ぎていた。 宋代の『太平寰宇記』巻九十七、江南東道の衢州信安県の条で、石室山は別名石橋山、空石山ともいい、王質が童子の碁を見ていると、童子が、汝の柯、爛せりと言う。家に帰ると100歳になっていた。この山は爛柯山とも名付けられた。同書の巻八十では、剣南道翆集嶲州越嶲県の条で、王質は二人の仙人が碁を打っているのを見て、碁が終わって見ると斧の柄が腐っており、二人が仙人であることを悟った。 明の時代の王世貞『絵図列仙全伝』では、王質が童子の碁を見ていると、斧の柄が爛り、家に帰ると数百年が過ぎており、王質はふたたび山に入り仙人となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「爛柯」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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