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片倉 兼太郎(かたくら かねたろう、嘉永2年11月29日 / グレゴリオ暦 : 1850年1月12日 - 1917年2月13日)は、日本の実業家、資本家である〔片倉兼太郎、朝日日本歴史人物事典、コトバンク、2012年3月15日閲覧。〕〔片倉兼太郎、世界大百科事典 第2版、コトバンク、2012年3月15日閲覧。〕〔片倉兼太郎、デジタル大辞泉、コトバンク、2012年3月15日閲覧。〕〔片倉兼太郎 (初代)、デジタル版 日本人名大辞典+Plus、コトバンク、2012年3月15日閲覧。〕。片倉組(現在の片倉工業)を設立、片倉財閥の基礎を築く〔〔〔〔。兼太郎の名は3代目まで引き継がれたが、本稿では初代のみを扱う。 == 人物・来歴 == 1850年1月12日(嘉永2年11月29日)、信濃国諏訪郡三沢村(のちの川岸村、現在の長野県岡谷市川岸)に生まれる〔〔〔〔。片倉家は豪農であり、兼太郎は、1873年(明治6年)には10人繰りの座繰製糸を開始していたが、満26歳を迎える1876年(明治9年)、父市助(いちすけ)から家督を受け継ぐ〔〔。 1878年(明治11年)、天竜川沿いに32人繰り器械製糸所である垣外製糸所を開設、さらに同年、輸出業の深沢社を設立する〔〔〔。翌1879年(明治12年)、開明社を尾沢金左衛門、林倉太郎らと設立する〔。松本製糸所、川岸製糸所も設立している〔。 実弟や従弟とともに一致団結し、利潤を共有財産として、製糸業を拡大〔、1895年(明治28年)、片倉組を設立、創立組長に就任する〔〔〔。1903年(明治36年)以降、北海道および朝鮮半島に進出、農場や山林を経営した〔。 1917年(大正6年)2月13日、死去した〔〔〔〔。満67歳没。 初代の創立した片倉組は、片倉製糸紡績(1920年)を経て片倉工業となり、20世紀半ばには、日本最大とも世界最大ともいわれる製糸企業となった〔〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片倉兼太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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