翻訳と辞書
Words near each other
・ 片倉佳史
・ 片倉信光
・ 片倉信号場
・ 片倉兼太郎
・ 片倉兼太郎 (2代目)
・ 片倉兼太郎 (3代目)
・ 片倉喜多
・ 片倉喜多子
・ 片倉城
・ 片倉守信
片倉宗景
・ 片倉小十郎
・ 片倉小十郎重綱
・ 片倉小十郎重長
・ 片倉工業
・ 片倉政憲
・ 片倉景綱
・ 片倉景親
・ 片倉景貞
・ 片倉景長


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

片倉宗景 : ウィキペディア日本語版
片倉宗景[かたくら むねかげ]
片倉 宗景(かたくら むねかげ、寛政10年(1798年) - 明治4年(1871年))は、江戸時代伊達氏重臣。白石片倉家第11代当主。
父は片倉景貞。子は片倉邦憲。幼名三之助。通称は小十郎。なお、第11代目藩主の伊達斉邦の従兄でもある。
== 略歴 ==
寛政10年(1798年)、白石片倉家第10代当主片倉景貞の子として生まれる。文政元年(1818年)父景貞が病で隠居したため、家督相続して白石城主となる。文政2年(1819年)白石城が火災で全焼する。文政3年(1820年)幕府の許可を取り白石城の再建を開始し、文政12年(1832年)に完成した。天保13年(1842年)奉行(家老)となる。二宮尊徳の弟子倉田耕之進を登用して、天保の大飢饉で疲弊した領内の復興を図る。安政6年(1859年)先祖片倉景綱以来、200年偉業を墜さず白石城を保つ功績を賞され一家上席に進む。文久3年(1863年)藩主伊達慶邦に従い上京し、孝明天皇石清水八幡宮に攘夷祈願の行幸を行った際に先陣供奉を務める。元治元年(1864年)隠居して家督を嫡男邦憲に譲る。明治4年(1871年)死去。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片倉宗景」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.