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片倉村廉 : ウィキペディア日本語版
片倉村廉[かたくら むらかど]
片倉 村廉(かたくら むらかど、享保12年(1727年) - 明和5年6月23日1768年8月5日))は、江戸時代中期の仙台藩伊達氏重臣。白石片倉家第8代当主。
父は松前広高。祖父は3代片倉景長の実弟松前為広。養父は片倉村定。正室は伊達吉村の娘。子は片倉景義伊達村倫室、片倉村典。幼名繁九郎、勇之助。初名は景寛。通称は小十郎。
== 略歴 ==
享保12年(1727年)仙台藩家老松前広高の次男として生まれ、縁戚の白石領主片倉村定の養子となる。藩主世子宗村の遊び相手を務めた。
寛保3年(1743年)養父の隠居により家督を相続し白石領主となり、藩主宗村の偏諱を受け「村廉」と名を改める。同年藩主宗村の藩主襲封の御礼言上の際に、江戸城将軍徳川吉宗に拝謁する。同年藩主宗村に牧場開設の命を受け、翌延享元年(1744年)刈田郡七日原に開設する。寛延元年(1748年)藩主宗村の妹郷姫と結婚する。郷姫との間に、一門伊達村倫室となる薫姫を儲けた。宝暦2年(1752年)に正室郷姫が死去する。宝暦4年(1754年)庶子景義を嫡子と定めるも、宝暦10年(1760年)に没したため、その弟繁五郎(村典)を嫡子とする。宝暦6年(1756年)藩主伊達重村の藩主襲封の御礼言上の際に、将軍吉宗に拝謁する。同年幕府監察使が、白石城を訪れ供応にあたる。
明和5年(1768年)6月23日没。享年42。家督は村典が相続した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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