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片山奨典 : ウィキペディア日本語版
片山奨典[かたやま しょうすけ]

片山奨典(かたやま しょうすけ、1983年9月8日 - )は、。奈良県出身のプロサッカー選手Jリーグロアッソ熊本所属。ポジションはDFMF
==来歴==
国見高校時代は左WBとして、2年時にインターハイ国体全国高校サッカー選手権三冠達成に貢献し、3年時には全日本ユース選手権初優勝と全国高校サッカー選手権連覇を達成したチームの一員であった。高校の同期には徳永悠平らがいる。卒業後は国士舘大学に進学した。
2006年名古屋グランパスエイトに入団。新人ながら開幕戦(対C大阪)のスタメンに抜擢され、スピードに乗った左サイドからの突破を見せた。その後は同期入団の阿部翔平との併用で左サイドバックで起用されていたが、阿部が出場機会を増やす一方、片山の出場機会は少なくなっていた。2007年はチーム事情と、持ち味の俊足を生かすべく、一時期はFWや左MFとして起用され、Jリーグ初得点も記録。2008年は名古屋にドラガン・ストイコビッチ監督が新たに就任したが、左サイドは攻撃的な位置にマギヌン、ディフェンスは阿部にポジションを完全に奪われ、出場機会がほとんどなかった。
2009年から出場機会を求め、横浜FCに移籍。ここでは、左サイドバックとしてスタメンに定着。スピード、クロスなど、名古屋時代に発揮できなかった能力を発揮した。しかし、2010年シーズンでは7試合に出場以降出場機会を失い、6月下旬にはコンサドーレ札幌の練習に本人の意思の下で参加〔横浜FC 片山奨典選手 練習参加のお知らせ - 2010年6月21日〕 するなど、出場機会を求めて他クラブで活躍の場を探す事になり、8月にロアッソ熊本へ完全移籍した。
熊本では移籍後すぐにレギュラーとして定着し、2010年は初めてシーズン複数得点を挙げており、また2012年はクラブで最多試合出場(42試合中40試合出場。時間では3,413分であり、南雄太の3,432分に次いで2位)の活躍。MFでの出場が多かった。
2013年は当初は公式の登録がMFとなっていたが、しばらくしてDFに戻された。主に左サイドバックで起用されている。
2015年シーズンも主力として出番を掴んでいたが、第12節の大分トリニータ戦にて途中出場し5分後に相手FWと交錯、腓骨骨折の重症を負い長期離脱した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片山奨典」の詳細全文を読む



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