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片岡 敏郎(かたおか としろう、1882年 - 1945年)は、戦前に活躍したコピーライター(当時の呼び名で「アドライター」)である。静岡県出身。 == 生涯 == 旧制開成中学校卒業後、海軍兵学校を目指すも叶わず、静岡中学校を卒業。泉鏡花に師事して文筆家を目指すが挫折。1906年、シャム公使館に勤務。1909年から1912年まで渡航。 広告業界に足を踏み入れるきっかけは本人曰く「たまたま見た森永の広告がまるでダメで、これなら俺の方がよいものができる」と思ったからだという。 帰国後の1913年、日本電報通信社に入社するも、翌年には、その森永製菓に広告部長として招かれ、ヒット広告を次々と打ち出す。特に当時の横綱・太刀山の手形に「天下無双 森永ミルクキャラメル」と文字をあしらった広告は大評判となった。 1919年に壽屋(今のサントリー)の創業者・鳥井信治郎にその才能を買われて、広告部長として移籍。ここでも「オラガビール」や「サントリー白札」(今のサントリーホワイト)、日本初のヌードポスターと騒がれた「赤玉ポートワイン」、「スモカ歯磨」など多数の傑作広告を残している。 1932年には壽屋が経営難に伴う、スモカ歯磨の製造権売却に伴い、壽屋を退社。新たに設立された寿毛加社の取締役となる。以後片岡が制作に携わる広告は「スモカ歯磨」のみとなる。 戦時下の1940年、新聞上で自由に広告文案を創作できないとして当時としては珍しい廃業広告を出したことでも知られている。 1945年、金沢市で逝去。享年64歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片岡敏郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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