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片桐淳至 : ウィキペディア日本語版
片桐淳至[かたぎり あつし]

片桐 淳至(かたぎり あつし、1983年8月1日 - )は、岐阜県出身の元プロサッカー選手ポジションFW
== 来歴 ==
第80回全国高等学校サッカー選手権大会で得点王を獲得し、2002年岐阜工業高校から名古屋グランパスエイトに入団したが、名古屋では出場機会を得られず、2004年はアルゼンチンのクラブを名古屋からのレンタル移籍で渡り歩く。2005年に名古屋に復帰するも出番は無く、シーズン途中にJFLFCホリコシ(現:アルテ高崎)へレンタル移籍。ホリコシではシーズン途中の加入ながらJリーグと海外リーグを経験した即戦力として重宝され、リーグ戦では10試合に出場し4得点を挙げた。
2006年から、名古屋から東海1部リーグFC岐阜へ完全移籍。背番号10番を託された岐阜では主力として活躍し、14試合に出場し14得点を記録。その後もエースストライカーとして岐阜のJFL・J2昇格に大きく貢献した。
2009年シーズン途中より、ヴァンフォーレ甲府へ完全移籍。
2010年は前半戦こそ出場機会を得ていたものの、中盤戦以降はコンディションが整わずほとんどピッチに立つことが出来なかった。
2011年は2005年の名古屋時代以来となるJ1の舞台で29試合に出場。チームは1年でのJ2降格となったが、片桐個人としては大きく評価を高めたシーズンとなった。
しかし2012年はわずか12試合の出場にとどまり、同年限りで契約満了に伴い甲府を退団することとなった。
2013年、ラトビア2部リーグのFKアウダの入団テストに参加していたが、契約には至らなかった〔“ダイヤの原石”発掘 無名の高校生が欧州移籍へ サッカーなう〕。8月13日MIOびわこ滋賀へ移籍〔片桐淳至選手 加入のお知らせ MIOびわこ滋賀 2013年8月13日〕。
MIOびわこ滋賀退団後、しばらく浪人状態であったが、2014年6月に引退を発表〔【STAR+LINE vol.2】片桐淳至 「引退と新たなスタート」 〕。同月21日に地元岐阜で引退報告を兼ねてサッカー教室を開催した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「片桐淳至」の詳細全文を読む



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