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片桐貞昌[かたぎり さだまさ]
片桐 貞昌(かたぎり さだまさ)は、江戸時代前期の大名、茶人。大和小泉藩の第2代藩主。茶道石州流の祖として片桐石州の名で知られる。 == 生涯 == 慶長10年(1605年)、初代藩主・片桐貞隆の長男として摂津茨木で生まれる。賤ヶ岳の七本槍の一人である片桐且元の甥にあたる。寛永元年(1624年)12月28日に従五位下、石見守に叙任される。寛永4年(1627年)、父の死去により家督を継いだ。このとき、弟の貞晴に3,000石を分与したため、小泉藩は1万3,000石となった。 貞昌は寛永9年(1632年)から寛永20年(1643年)まで知恩院再建の普請奉行を務め、そのほかにも関東の郡奉行などを歴任し、また水害地の視察にしばしば出張するなど土木建築に功績を挙げた。寛永15年(1638年)には大徳寺山内に高林庵を建立している。 延宝元年(1673年)11月20日に死去した。享年69。跡を三男の貞房が継いだ。墓所は京都府京都市北区紫野の大徳寺高林庵。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「片桐貞昌」の詳細全文を読む
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