|
牛塚 虎太郎(うしづか とらたろう、1879年(明治12年)4月28日 - 1966年(昭和41年)11月1日)は、東京市長および衆議院議員を歴任した官僚、政治家。 == 略歴 == * 1879年(明治12年)4月 - 富山県射水郡水戸田村藤巻で牛塚太平の長男として生まれる。 * 1905年(明治38年) - 東京帝国大学法科大学政治科を卒業する。 *: 逓信省書記官兼商船学校教授、地方海員審判所審判官、内閣統計局長を歴任。 * 1916年(大正5年) - 臨時国勢調査局次長となり、第1回国勢調査に尽力した。 *: 途中、行政裁判所評定官を兼務。 * 1919年(大正8年) - 1920年(大正9年)5月14日 - 内閣統計局長を務める。 * 1920年(大正9年)5月15日 - 1922年(大正11年) - 国勢院第一部長を務める。 * 1922年(大正11年)10月16日 - 1924年(大正13年)7月23日 - 岩手県知事を務める。 *: 県名を「巌手」から「岩手」へ変更した。 * 1924年(大正13年)7月23日 - 1926年(大正15年)12月18日 - 群馬県知事を務める。 *: 前橋と高崎で争っていた県都を前橋に定めた。 * 1926年(大正15年)12月18日 - 1929年(昭和4年)10月9日 - 宮城県知事を務める。 * 1929年(昭和4年)10月9日 - 1931年(昭和6年)12月18日 - 東京府知事を務める。 *1931年(昭和6年)12月18日 - 東京府知事を依願免本官となる〔『官報』第1493号、昭和6年12月19日。〕。 * 1933年(昭和8年)5月10日 - 1937年(昭和12年)5月9日 - 東京市長に互選される。 *: 市長選に絡み、朋友の五島慶太に賄賂の嫌疑がかかった。 *: 市長としては、山口貯水池の完成、小河内貯水池の建設計画決定、し尿処理の市営断行、ガス報償契約改訂問題、東京都中央卸売市場単複問題の解決、千歳村および砧村の合併を手がけた。東京市長唯一の任期満了者となった。 * 1942年(昭和17年)4月30日 - 第21回衆議院議員総選挙にて東京1区で当選。 * 1945年(昭和20年)12月18日 - 衆議院議員を辞する。 * 1965年(昭和40年)6月26日 - 大門町名誉町民となる(後に射水市名誉市民)。 *: 晩年は、生家に戻った。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛塚虎太郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|