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牛島 省三(うしじま しょうぞう、1883年(明治16年)3月〔『新編日本の歴代知事』249頁。〕 - 1940年(昭和15年)10月14日〔『読売新聞』1940年10月15日朝刊、7面の訃報より。〕)は、日本の内務・警察・朝鮮総督府官僚、実業家。官選茨城県知事。 ==経歴== 鹿児島県出身〔。第七高等学校造士館を卒業。1910年、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1911年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し兵庫県試補となる〔〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』200頁。〕。 以後、兵庫県警視、同県美嚢郡長、鳥取県理事官、山口県警察部長、熊本県警察部長、兵庫県警察部長、石川県書記官・内務部長、長野県書記官・内務部長、大阪府書記官・内務部長、警視庁警務部長などを歴任〔。 1929年7月、茨城県知事に就任。政府の財政緊縮方針に沿った予算編成を行う。県立学校の経費削減を行うと共に社会教育・補習教育の充実を図り、また、トラホーム予防にも取り組んだ〔。1931年6月、朝鮮総督府学務局長に転任。同年9月、同内務局長に異動し1936年5月まで在任〔『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』131-132頁。〕。同年に退官した〔。 その後、京春鉄道 (株) 社長、朝鮮重工業 (株) 社長を務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛島省三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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