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牛島謹爾 : ウィキペディア日本語版
牛島謹爾[うしじま きんじ]

牛島 謹爾(うしじま きんじ、1864年 - 1926年3月27日)は、実業家。アメリカに移民し、「馬鈴薯王」と呼ばれた。勲四等、雅号に別天。現地ではジョージ・シマの名で親しまれた。
== 人物 ==
福岡県三潴郡鳥飼村(現久留米市)に農家の三男として生まれる。1885年に上京して漢学塾二松學舍(現二松學舍大学)に入塾、三島中洲に師事する。彼の農園「別天地園」は三島の命名による。(大正2年5月15日付、渋沢栄一書簡「別天地園」より)東京商業学校(現一橋大学予科進学も、東京商業学校本科不合格。1888年に渡米。はじめサンフランシスコのアメリカ人家庭で働きながら英語を学ぶ。のちカリフォルニア州ストックトン地方の荒地を開拓して,苦闘のすえ良種のジャガイモの大量生産に成功,6万エーカーを超す大農園を起こし〈ポテト王〉とよばれた。また1908年に結成された在米日本人会の初代会長として,排日運動の緩和につとめるなど,大きな功績をあげた。1926年、日本へ帰国する途中、ロサンゼルスで客死。死後、その功績に対し、勲四等旭日章が追贈された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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