翻訳と辞書
Words near each other
・ 牛島町モーモー喫茶 ~みなさん お疲れ様です。~
・ 牛島盛光
・ 牛島省三
・ 牛島秀彦
・ 牛島純一
・ 牛島義友
・ 牛島航路
・ 牛島良肉
・ 牛島謹爾
・ 牛島貞雄
牛島辰熊
・ 牛島閘門
・ 牛島駅
・ 牛崎 (新潟市)
・ 牛嶋俊一郎
・ 牛嶋俊明
・ 牛嶋天満宮
・ 牛嶋徳太朗
・ 牛嶋正
・ 牛川とこ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

牛島辰熊 : ウィキペディア日本語版
牛島辰熊[うしじま たつくま]

牛島 辰熊(うしじま たつくま、1904年明治37年)3月10日 - 1985年昭和60年)5月26日)は、日本柔道家段位講道館柔道九段。大日本武徳会柔道教士
明治神宮大会3連覇、昭和天覧試合準優勝。その圧倒的な強さと気の荒さから「鬼の牛島」と称された。柔道史上最強を謳われる木村政彦の師匠として有名だが、牛島自身も木村に負けぬ実績を持つ強豪であった。
==来歴==

===古流柔術で命を賭けた稽古===

熊本県熊本市の製油業者の家に生まれる。元々は剣道を修行していたが、15歳の時に長兄の影響で肥後柔術三道場の一つ、扱心流江口道場に入門した〔『唯我独創の国から』 第4章 時代の波にのまれながら -刀折れ矢尽き、なお闘う 柔道家牛島辰熊-(西日本新聞文化部、2000年10月)〕。熊本では講道館柔道よりも、まだ古流柔術の方が盛んであった。
この肥後柔術三道場の対抗戦は、判定勝利はなく「参った」のみで勝負を決するもので、時には腰に短い木刀を差して試合をやり、投げて組み伏せ、最後は木刀で相手の首を掻き斬る動作をして一本勝ちとなるルールでも戦った〔『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか増田俊也新潮社)〕。これら古流柔術は柔(やわら)をあくまで武士の戦場での殺人武術だと位置づけていた。
まだ全日本選士権がない頃、実質的な日本一決定戦だった明治神宮大会1925年から3連覇した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「牛島辰熊」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.