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牛李の党争[ぎゅうりのとうそう] 牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国唐代の憲宗期から宣宗期(808年から849年)にかけて起こった政争。牛僧孺・李宗閔の牛党と李徳裕の李党の間で激しい権力闘争が行われ〔「牛李の党争」・「牛党」・「李党」の言葉はそれぞれ用語としての適切さに疑問が投げかけられている言葉であるが、ここではこの呼称で通す。詳しくは#研究の節を参照。〕、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。 == 事実経緯 ==
=== 前史 === 魏晋南北朝時代は貴族制〔中国の学界では日本でいう「貴族」のことを「士族」と呼ぶが、この記事中では引用部を除いて「貴族」で統一する。〕の時代であり、貴族は門地と血統を基にして官僚の上部職を独占していた。これに対して隋では試験により官僚を登用する科挙制度を開始し、貴族に対する皇帝権の強化を狙った。しかし隋およびその後の唐初期に於いては貴族の勢力が強く、科挙官僚の進出は抑えられた。 この頃の貴族勢力は、最上格を後漢以来の長い伝統を誇る山東貴族、中でも崔・盧・李・鄭の四姓が占め、鮮卑の名族を母体とし、隋・唐の皇帝を出した関隴集団がそれに次いだ。これら貴族勢力は官僚人事を司る尚書吏部を掌握し、科挙官僚が中央政界に進出することを妨害した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛李の党争」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Niu-Li Factional Struggles 」があります。
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