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牛窪記 : ウィキペディア日本語版
牛窪記[うしくぼき]
牛窪記(うしくぼき)は、室町時代から安土桃山時代東三河地方における土豪の様子や、伝説を記載した地域史料。編著者は不明。牛窪城主牧野氏の栄枯盛衰を中心に記述した内容から「牛窪記」と題されている。奥書がなく、著者不明。成立年不明。
成立は、17世紀末とされる(元禄10年、1697年説)。〔『近世三河地方文献集』の編者・久曾神昇はその解説で『牛窪記』の本文中の「此証文者、今鉄屋中尾氏重治所持也」の記述に注目し、中尾重治が元禄10年に『家伝記』を著したことや、『牛窪記』の訂補版である『牛久保密談記』が4年後の元禄14年に成立していることで元禄10年頃成立と推定している(参考文献の1、12頁)。なお、「牛窪記」の原本(もしくは写本)は現在、地元牛久保(豊川市)にも牧野氏転封先の長岡市にも残っておらず、国立公文書館所蔵本「内閣文庫7632号資料」(写本/明治07年内務省旧蔵)と伊勢神宮の伊勢文庫所蔵本が知られている。また、岡崎市立中央図書館(出版年1874年;明治07年、写・複製)や、活字本として、1911年(明治44年)に全巻が完結・完成した『続群書類従』訂正3版・第21輯上・合戦部に収録されている(底本は国立公文書館蔵本で、原題は「牛久保記」と表記されている)。なお、「徳川実紀」引用書目中にもその名前が見える。〕
== 概要 ==
「牛窪記」は『続群書類従』の合戦の部に収載され、合戦記・軍記物として扱われているが、実質は牛窪城主牧野氏の栄枯盛衰の描写が中心のために「牛窪城主盛衰記」であるという見方もある。
また、熊野三所大権現(牛窪・熊野神社)、金山大権現(中条神社)、牛窪・長谷寺観音堂や野中の地蔵尊の逸話などのこの地域の武将であった牧野氏の信仰に関する記述も目立つ〔参考文献の3、137頁。〕。
牧野氏真木氏岩瀬氏、野瀬氏、稲垣氏、山本氏などの三河国宝飯郡に本拠を持った土豪と、その地域でおきた合戦や、判物・逸話・伝説を中心に紹介。家康の祖父、松平清康や徳川家康と数度となく合戦に及んだことなどがわかる。江戸時代に譜代大名として、幕閣要職に名を連ねた牧野氏にとって松平氏・徳川氏と敵対した様子など、あまり知られたくない先祖の過去でもある〔参考文献の2、巻末「跋文」の筆者・中神基勝によれば、牧野氏はこの敵対事実を「牛窪記」の中で全て牧野保成に託さざるを得なかったと推論している。〕。そして東三河の土豪たちが、今川氏・武田氏・徳川氏などの大勢力に囲まれて、苦悩して生き抜いた様子を伝えている。この牛窪記を加筆訂正したものに、中神行忠が著した『牛窪密談記』がある。牛窪城主・牧野家について、「牛久保密談記」は「牛窪記」と異なる説をとっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「牛窪記」の詳細全文を読む



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