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牛若丸あきべぇ : ウィキペディア日本語版
渡部あきのり[わたなべ あきのり]

渡部 あきのり(わたなべ あきのり、1985年7月10日 - )は、日本プロボクサー埼玉県北葛飾郡杉戸町出身。
第50代日本ウェルター級王者。第37代OPBF東洋太平洋ウェルター級王者。第17代PABAスーパーウェルター級王者。
リングネームは本名の渡部 信宣(読み同じ)から牛若丸 あきべぇ(うしわかまる - )を経て、現在のものになった。
野口ボクシングジム所属。花咲徳栄高等学校卒業。高校の同期に岩渕真也。同い年であるロンドンオリンピック金メダリスト村田諒太は親友。
目標のボクサーとして元所属協栄ボクシングジムの先輩鬼塚勝也を挙げている。
== 来歴 ==
ボクシングの名門校である埼玉県の花咲徳栄高校ボクシング部出身。インターハイ準優勝の実績がある。
高校在学中に協栄ジムに入門し、卒業直前の2004年2月16日に本名の「渡部信宣」でプロデビュー。デビュー戦を4R判定勝ちで飾る。
2005年9月27日、東日本ウェルター級新人王トーナメント準決勝で前川洋昭(帝拳)に対し2RKOで勝利。その後、予定されていた決勝戦の対戦相手が棄権したことによる昇格で、東日本ウェルター級新人王を獲得した。
2005年12月18日、細川貴之(六島)に2RKO勝利を収めて全日本ウェルター級新人王となり、MVPに選ばれた。
2006年3月下旬、新人王獲得のご褒美としてパウンド・フォー・パウンド最強といわれるフロイド・メイウェザー・ジュニアスパーリングさせてもらえるチャンスを得たが、1発たりともパンチを当てることができず、ただひたすら一方的に殴られ続けて終わってしまった。スパーリング後、メイウェザーに「俺は世界一強い男なんだから、一発も当たらなくてもくよくよすんなよ」と慰められた。
「江戸乃牛若丸」のニックネームで当時ジムメイトだった亀田興毅亀田大毅の前座を務め、2006年6月に正式に亀田史郎に弟子入り。練習メニューのほとんどを亀田兄弟と共にこなすようになる。リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変更した。
2006年9月27日、金燦鐘(キム・チャンジョン)(韓国)との試合で、キムがレフェリーの指示を勘違いし、コーナーの方向に背を向けて歩いていたところを背後から側頭部へのパンチでKOするという珍しい展開があった。
2006年11月20日、インドネシアウェルター級2位のシャムスル・ヒダヤットを初回TKOで破り、日本ウェルター級1位にランクアップした。2007年4月に日本タイトルに初挑戦する予定だったが、挑戦権があるにもかかわらず対戦を回避した。
2007年6月に、亀田一家から“卒業”し、元通り協栄ジムでトレーニングを開始。9月17日にWBA世界ウェルター級11位のファルカド・バキロフ(ウズベキスタン)と対戦。8RTKO勝ちを収め、浜田剛史が従来持っていた日本人選手の連続KO勝ち記録(15連続KO)と並ぶタイ記録を達成するが、後にバキロフは練習時間が2週間しか貰えなかったことを明かした。
2007年12月6日に日本ウェルター級タイトルマッチを湯場忠志(都城レオ)と行い、1R湯場からダウンを奪うもすぐに2度倒し返され、1R1分30秒KO負け。日本タイトル初挑戦は失敗に終わった。
2008年4月21日、日本ウェルター級5位の上石剛(コーエイ工業小田原)を相手に再起戦を行うが、1R2分41秒TKO負け。
2008年10月8日、この年からA級トーナメントから変わった日本タイトル挑戦権獲得トーナメント「最強後楽園」ウェルター級決勝で、日本同級6位の中川大資(帝拳)に3RTKO負けを喫し3連敗となった。日本ウェルター級9位にランクは下がり、この年11月、リングネームを「渡部あきのり」に変更した。
2009年6月14日、日本ウェルター級8位として日本ミドル級6位の古川明裕(ワールドスポーツ)と71.0kg契約10回戦を行った。初回に左ストレートでダウンを奪って攻勢をとり、4Rにカウンターの右フックで再び古川をダウンさせたところでタオルが投入され、この回KO勝利で再起に成功した。
2009年8月22日、レイジングバトル70.0kg契約準決勝で日本ウェルター級7位として海老根範充(国際)と対戦し、初回KO勝利を収めた。
2009年10月23日、同トーナメント決勝で日本ウェルター級6位として日本ミドル級5位の岳たかはし(新田)と対戦。2-0(39-37、39-38、38-38)の判定勝利で優勝を収め、MVPも獲得した。
2010年2月22日、OPBF東洋太平洋ミドル級11位・日本ウェルター級6位として、OPBF東洋太平洋スーパーウェルター級8位・日本スーパーウェルター級4位の湯場忠志と2年2か月ぶりの再戦をスーパーウェルター級8回戦で行い、2Rからは試合を優位に進めたが、5Rに左アッパーからの連打を受け、この回TKO負けを喫した。
2010年6月24日、2年ぶり2度目の出場となった日本タイトル挑戦権獲得トーナメントウェルター級準決勝で日本ウェルター級8位として日本ウェルター級10位の出田裕一(ヨネクラ)と対戦し、最終6RTKO勝利を収めて再起に成功した。同年9月5日、同トーナメント決勝で日本ウェルター級8位として日本ウェルター級6位の下川原雄大(角海老宝石)と対戦し、4RTKO勝利を収めて日本ウェルター級王座への挑戦権を獲得した。
2011年4月11日、日本ウエルター級王者でOPBF東洋太平洋ウエルター級王者の井上庸(ヤマグチ土浦)に挑戦し、2回に左ショート、右フックで2度のダウンを奪い、2回には右ストレートなどで3度のダウンを奪い、2回1分22秒、KO勝ち。日本王座とOPBF王座獲得に成功した。
2011年8月4日、後楽園ホールにて同級1位梁正勲(韓国)と対戦し、序盤から手数と強打で挑戦者を圧倒し、4回に左のボディーブロー1発で相手をマットに沈め4RKO勝利でOPBF東洋太平洋王座初防衛に成功した。
2011年11月1日、後楽園ホールにて日本ウェルター級8位・OPBF東洋太平洋ウェルター級6位の庄司恭一郎(戸高秀樹)の挑戦を受け、左へ回ろうとした挑戦者のガードが一瞬下がった瞬間に、チャンピオンのノーモーションの右フックが入り挑戦者が頭からリングに崩れ落ち、ノーカウントで試合終了。日本王座は初防衛、OPBF王座2度目の防衛に成功した。
2012年3月27日、後楽園ホールにてOPBF東洋太平洋ウェルター級2位・日本ウェルター級1位の斉藤幸伸丸(輪島功一スポーツ)と対戦し、4R終了時公開採点ではチャンピオンリードだったが、中盤から猛烈に挑戦者が挽回していき8R終了では2者がイーブン、1者は挑戦者に1ポイント差でリードを付けられ9R、10Rは完全に挑戦者がペースを持っていき迎えた11R、チャンピオンの左ストレートが命中し逆転の11回TKO勝利で日本王座は2度目、OPBF王座3度目の防衛に成功した。
2012年7月8日、神奈川県横浜市横浜文化体育館で日本ウェルター級10位の山川和風(金子)と対戦し、挑戦者が息切れしたところをコーナーに追い込み左右のフックを浴びせ6回TKO勝ちで日本王座の3度目の防衛に成功した。
2012年11月19日、WBC世界スーパーライト級1位のプラウェート・シンワンチャー(タイ)と戦い序盤から距離を意識し大振りをしないように注意しながらの戦いプラウェートの圧力でロープを背負う場面があったものの相手の打ち終わりにパンチを合わせ5回に左のカウンターでダウンを奪い、中盤以降も冷静に戦い、終わってみれば3-0の大差判定でOPBF東洋太平洋王座4度目の防衛に成功すると同時に世界ランク入りを確実にした。
2012年11月26日、日本ウェルター級王座を返上した。
2012年12月6日、WBC世界ウェルター級10位にランクインされた。
2013年3月18日、OPBF東洋太平洋ウェルター級7位のコブラ諏訪ピューマ渡久地)と対戦し、試合が始まると計量疲れの様子はあまり見られず、初回に早くも左ストレートでダウンを奪い2回に入ると試合は早くもワンサイド4回終了時点で三者ともに(40-35)のフルマークで5回に大量の鼻血と顔面からカットして血だるまになり6回には挑戦者の動きがスローになった所で見かねたレフェリーが試合をストップし6回TKO勝ちで5度目の防衛に成功した。前日計量で1.4kgオーバーで現れ超過分をサウナで一気に落とすという荒行で脱水症状になったが2回目の計量でリミットを200グラム下回る66.4kgでパスし計量失敗での王座はく奪の危機は免れ予定通りに試合が行われた。
2013年7月30日、OPBF東洋太平洋ウェルター級王座を返上した上、野口ジムへ移籍。
2013年11月19日、韓国済州島の済州グランドホテルコンベンションホールにて亀田興毅の前座で、ダニエル・ドーソンスーパー王座認定に伴い郭京錫(韓国)とPABAスーパーウェルター級王座決定戦を行い、4回終了時TKO勝ちを収め王座を獲得し日本人初のPABA王者となった。
2013年12月12日、WBAが最新ランキングを発表し、渡部は日本人初のPABA王者となったことを評価され、WBA世界スーパーウェルター級15位にランクインした〔World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2013年12月12日〕。
2014年6月1日、WBAは最新ランキングを発表し、渡部はWBA世界スーパーウェルター級ランキングから除外された〔World Boxing Association Ranking WBA公式サイト 2014年6月1日〕。
2015年4月16日、後楽園ホールでOPBF東洋太平洋ウェルター級2位のアーネル・ティナンパイとスーパーウェルター級8回戦を行い、8回3-0(2者月77-74、78-73)の判定勝ちを収めた〔元王者の渡部あきのり、ティナンパイに判定勝ち Boxing News(ボクシングニュース) 2015年4月16日〕。
2015年7月30日、後楽園ホールでギャティサック・シッサイトーンと67.0kg契約8回戦を行う予定だったが、前日計量で契約体重を3.2kg超過の70.2kgを計測しリング禍が心配された中で試合は通常に行われ、初回に渡部がギャティサックから3度ダウンを奪い初回1分22秒KO勝ちを収めた〔井上岳志がランカー対決勝利、あきべぇ減量失敗 Boxing News(ボクシングニュース) 2015年7月30日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「渡部あきのり」の詳細全文を読む



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