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牛込区(うしごめく)は、現在の東京都東部にかつてあった東京15区時代から35区時代までの区。 == 歴史 == 区名は、古くに牛の牧場があり、牛が多くいたことから、「牛」が「込」(多く集まる)に由来するとされる。 * 1878年(明治11年)11月2日 - 郡区町村編制法により、以下の区域をもって東京府牛込区が発足。 * 現存する町丁(「牛込」「大久保」の冠称は1911年廃止。「市ヶ谷」は「市谷」に変更。ただし、片町、河田町、富久町は冠称を廃止) * 市ヶ谷加賀町一丁目、市ヶ谷加賀町二丁目、市ヶ谷片町、市ヶ谷河田町、市ヶ谷甲良町、市ヶ谷砂土原町一丁目、市ヶ谷砂土原町二丁目、市ヶ谷砂土原町三丁目、市ヶ谷鷹匠町、市ヶ谷田町一丁目、市ヶ谷田町二丁目、市ヶ谷田町三丁目、市ヶ谷富久町、市ヶ谷仲之町、市ヶ谷八幡町、市ヶ谷船河原町、市ヶ谷本村町、市ヶ谷柳町、市ヶ谷山伏町、牛込赤城下町、牛込赤城元町、牛込揚場町、牛込岩戸町、牛込榎町、牛込改代町、牛込喜久井町、牛込北町、牛込北山伏町、牛込細工町、牛込下宮比町、牛込白銀町、牛込水道町、牛込箪笥町、牛込築地町、牛込筑土八幡町、牛込天神町、牛込中里町、牛込納戸町、牛込西五軒町、牛込二十騎町、牛込馬場下町、牛込払方町、牛込原町一丁目、牛込原町二丁目、牛込原町三丁目、牛込東榎町、牛込東五軒町、牛込袋町、牛込弁天町、牛込南榎町、牛込南町、牛込南山伏町、牛込山吹町、牛込矢来町、牛込横寺町、牛込若松町(一部は現戸山)、牛込若宮町、牛込早稲田町、牛込早稲田南町、大久保余丁町 * 改称して現存する町丁 * 市ヶ谷左内坂町(現市谷左内町) * 市ヶ谷長延寺谷町(現市谷長延寺町) * 市ヶ谷薬王寺前町(現市谷薬王寺町) * 牛込津久土前町(現津久戸町) * 牛込仲町(現中町) * 現存しない町丁 * 市ヶ谷谷町(現住吉町、市谷台町) * 神楽町一丁目、神楽町二丁目、神楽町三丁目、牛込上宮比町、牛込肴町、牛込通寺町(現神楽坂) * 牛込下戸塚町、牛込破損町(戸山町を経て、現戸山) * 牛込高田町(現西早稲田) * 1879年(明治12年)4月 - 七軒町(現本塩町の一部)を四谷区に編入。 * 1880年(明治13年)9月 - 小石川区新小川町一丁目、新小川町二丁目、新小川町三丁目(現新小川町)を編入。市ヶ谷本村町の一部、市ヶ谷片町を四谷区に編入。 * 1889年(明治22年)5月1日 - 市制、町村制の施行に伴う東京市の設置により、南豊島郡牛込早稲田村を編入。のちに編入された区域に早稲田鶴巻町を設置。 * 1923年(大正12年) - 下戸塚町・破損町が戸山町となる。 * 1932年(昭和7年) - 近隣82町村を編入、東京市も35区となる。 * 1943年(昭和18年)7月1日 - 東京都制施行により、東京都牛込区となる。 * 1947年(昭和22年)3月15日 - 東京都区部の制定で四谷区、淀橋区と合併し、東京都新宿区となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牛込区」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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