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松永 幹夫(まつなが みきお、1967年4月10日 - )は日本中央競馬会 (JRA) の調教師、元騎手。 童顔で甘いマスクを持ち、騎手デビュー直後から女性ファンが多くついた。名前をもじってミッキーという愛称でも呼ばれる〔。 == 来歴 == === 騎手時代 === JRAの競馬学校の第2期生。同期には横山典弘、熊沢重文らがいる。1986年にデビューし、引退するまで山本正司厩舎に所属した〔。 初騎乗は1986年3月1日、阪神競馬第1競走のインターアビリティで13頭立ての12着だった。初勝利は同年3月23日、阪神競馬第7競走でツルマイスワローに騎乗してのものであった〔。重賞初勝利は1988年、函館3歳ステークスでサザンビーナスに騎乗して挙げた。1991年にはイソノルーブルで優駿牝馬(オークス)を制しGI初勝利〔。同年12月に香港に遠征し、初騎乗初勝利を挙げている。 また、1989年の暮れに開催されたワールドスーパージョッキーズシリーズに優勝している。夏の主戦場は北海道だった。1996年、調教中に事故で腎臓を摘出する重傷を負ったが、復帰後も活躍を続け、1997年には自身最多となる101勝を挙げた〔。 所属先の山本厩舎が管理する馬にも多く騎乗した。ダートで活躍したカネツフルーヴやレギュラーメンバー〔、NHK杯勝ち馬マイシンザンや、クラシック三冠全てに騎乗したメガスターダムなどがそれである〔〔。2005年にはヘヴンリーロマンスに騎乗し、天皇賞(秋)を制した〔。所属厩舎でのJRAGI初勝利、エアグルーヴ以来の牝馬による天皇賞制覇に加え、3連単の配当が100万円を超えるなど、記録ずくめの勝利となった〔『Gallop臨時増刊号2005重賞年鑑』産業経済新聞社、2005年、113-115頁。〕。 2006年度のJRA調教師試験に合格したため38歳の若さで鞭を置くこととなった〔。現役騎手としての最終騎乗日となった2006年2月26日の阪神競馬第11競走・阪急杯でブルーショットガンに騎乗し、出走馬15頭中単勝11番人気という低評価を覆し勝利。続く最終12競走でもフィールドルージュで勝利〔。引退レースにてJRA通算1400勝を達成し、「競馬の神様に愛された男」と呼ばれた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「松永幹夫」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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