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『牝鹿』(めじか、''Les Biches '')FP.36は、フランシス・プーランクが作曲した1幕のバレエ音楽、またはこれを元にした管弦楽組曲。 タイトルの『牝鹿』とは、「若い娘たち」「かわいい子」といった意味である。 プーランク24歳の時の作品。初の合唱作品でもある。 ==概要== 1923年、当時ミヨーと共にイタリアへ旅行していたプーランクは、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を率いるセルゲイ・ディアギレフから現代版『レ・シルフィード』の作曲を依頼され、滞在中のモンテカルロでバレエ音楽の作曲を始めた。バレエはマリー・ローランサンの絵画に触発されており、1920年代初頭のサロンにおける「優雅な宴」 (''Fête galante'') の気分を再現したものである以外に明確な筋書きをもたない。タイトルはプーランクがヴァランティーヌ・グロスとタクシーに乗っている時に思いついた〔リチャード・バックス、鈴木晶訳『ディアギレフ ロシア・バレエ団とその時代』リブロポート、1984年、下巻164ページ〕。軽快で瑞々しい音楽〔アンリ・エル、村田健司訳『フランシス・プーランク』春秋社、1993年、40-47ページ〕はプーランクの個性が発揮されているが、プーランク自身は、チャイコフスキーの『眠りの森の美女』のヴァリアシオン、ストラヴィンスキーの『プルチネルラ』や『マヴラ』の影響を受けたと語っている〔。 バレエは同年の6月頃に完成され、翌1924年1月6日、モンテカルロにおいて、バレエ・リュスによって初演が行われた。この時の振り付けはニジンスカ、装置と衣装をマリー・ローランサン、指揮をエドゥアール・フラマンが担当し、ヴェラ・ネムチノヴァが主役を演じた。舞台は青いソファが1つ置かれただけの白く塗られた部屋、時期は暑い夏の午後。3人の若い男が16人の可愛い女の子達と無邪気に戯れているというものであった。モンテカルロでの初演に引き続き、同年5月26日にパリのシャンゼリゼ劇場でアンドレ・メサジェの指揮により再演されたが、どちらも成功であった〔。 初演時より、批評家からは独特で透明感のあるオーケストレーションに対して高い評価が得られたが〔、プーランクは円熟期に入った1939年にオーケストレーションの全面改訂を行った〔H.エル、前掲書、112-113ページ〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牝鹿」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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