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牟呂八幡社[むろ はちまんしゃ]
牟呂八幡社(むろ はちまんしゃ)は、愛知県豊橋市にある神社(八幡宮)。牟呂八幡宮(むろ はちまんぐう)の名でも知られる。 == 由緒 == 牟呂八幡社は、文武天皇元年(697年)の創建と伝えられる。「三河国国内神名帳」に、「従五位牟留天神」と見え、文治2年(1186年)佐々木某の知行所であった時、牟呂天神境内に武神として八幡宮を併祀したものという。貞応元年(1222年)鎌倉将軍の命により、鎌倉鶴岡八幡宮を手本にして三方に大門・三池をめぐりらし、市杵島社、若宮八幡社、式内社などを勧請した。 「三州吉田領神社仏閣記」(元禄6年)に、牟呂村「八幡宮,神主森田志摩,御朱印社領四石五斗,此内壱石五斗天王社領分,境内東西百八間・南北八十四間,西大門八十間・南大門百四十間・東大門百廿間,右之境内白山社・天王社・神明・若宮社・雨ノ宮・風ノ宮・天神・秋葉宮・弁財天・十七夜ノ宮・神宮」とある。「三河国二葉松」(元文5年)に、「牟呂村八幡,社領四石五斗,神主森田伊勢」とある。昭和20年(1945年)6月の空襲によって社殿が被災したが、同24年再建した。 神幸祭の神事相撲は、国譲りの出雲神話による諏訪大社の神事相撲に由来する。4名の総代がお役に就く。当社の神事相撲は力比べではなく、厳粛な占い神事として行われてきた。勝負の結果で、干地・福地の豊凶を占い、作付けの参考にされてきた。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牟呂八幡社」の詳細全文を読む
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