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牟呂用水 : ウィキペディア日本語版
牟呂用水[むろようすい]

牟呂用水(むろようすい)は、愛知県東部を流れる農業用水路豊川を取水源とし、豊川左岸の一部地域をうるおす。
== 地理 ==
;牟呂用水
:愛知県新城市一鍬田の牟呂松原頭首工から取水し、豊橋市牟呂地区の神野新田をうるおす。明治時代に開削された。当初は、豊橋市賀茂町までの賀茂用水であったが、神野新田開発に伴い、用水路を延長し現在に至る。豊橋市街地を流れる部分は、地元では新川(しんかわ)とも呼ばれている。最終区間の牟呂地区で神野新田への分流を分けた後、牟呂市場町で柳生川に合流する。正式名称は「牟呂松原用水牟呂幹線水路」。
;松原用水
:愛知県豊橋市賀茂町の松原分水工(県営かんがい用水事業での呼称は「照山分水工」であり、水資源機構のホームページでも現在そう記載されているが、現地の銘板には「松原分水工」と刻まれている。豊川用水二期事業で改築された際の図面記載は「松原分水工」)にて牟呂用水より分岐し、豊川市豊津町から豊川の右岸を流れ、豊川放水路と分流堰付近で交差し豊橋市大村町を過ぎた所で豊川に合流する。元は、豊川市松原町に頭首工のあった別の用水路であったが、頭首工改築に際し、一鍬田の頭首工の設備強化をして、牟呂用水と一体運用とした。正式名称は「牟呂松原用水松原幹線水路」。
角川日本地名大辞典「旧地名」によると、明治2年宝川の廃渠を用い,幅2間・長さ600間を開削して,井堰を松原村に移転(松原用水)。この時の総工費1,700両,うち700両は吉田藩からの補助,残り1,000両は松原用水井組24か村の負担。同8年豊川が増水し,松原の堤防が渡船場下で決壊。このため松原用水の新水路600間は大決壊し,井堰導水堤も大破。当村の戸長らは「松原用水ヲ廃シ,日下部用水ヲ復旧スルコト」を愛知県令鷲尾隆に請願したが,県では松原用水の位置の有利性を認め,豊川通堤防修繕工事を松原用水組合に命じ,約1,000円を交付。同22年本茂村の大字となる。
と記載されているが、松原用水土地改良区の碑文には、永禄10年に、酒井忠次によって開削された。
明治24年の三河国宝飯郡誌には「天文年中内藤弥太夫(大村内藤慶市氏ノ祖先)自ラ発起シ、八名郡橋尾村地内ニ堰ヲ創築セリ」などと記載されているが、それを裏付ける同時代史料はない。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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