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牧野 古白(まきの こはく、生年不詳 - 永正3年(1506年))は、三河牧野氏の武将。俗名は成時(しげとき)であり、法名である古白は古伯とも書く。利成とする文書もあるが一般的ではない。子は信成、三成、信高、能成。 == 生涯 == 三河国宝飯郡牧野城(愛知県豊川市牧野町)主 牧野成富の惣領。同国宝飯郡真木村(後に瀬木村に改称)の瀬木城に拠点を移し発展、東三河地方の国人領主となる。同郡 長山一色城主の一色時家の被官であったとされる。 同じく一色時家の被官ながら、下克上した波多野全慶(俗名は時政)を誅した後に、一色城(豊川市牛久保町)主となり、戦国大名 今川氏に服属。やがて隣接する渥美郡に進出して、永正2年(1505年)には今橋城(後の三河国吉田城)(愛知県豊橋市今橋町)を築城した。 先祖は四国讃岐国から渡海して、三河国牟呂津に漂着した後に牟呂八幡宮(愛知県豊橋市)の神官を継いだ人とも、また父の牧野成富の代に、室町将軍家からの要請で四国から渡来したともいわれている。 また四国から系譜を引くのは仮冒系図であり、信じ難いとする説もある。この点については、三河牧野氏を参照のこと。 古白は連歌を通じて足利将軍家と交流があった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野古白」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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