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牧野 定成(まきの さだなり、元和3年(1617年) - 万治元年10月7日(1658年11月2日))は、牧野忠成の四男。江戸幕府旗本寄合、越後三根山藩祖。初名直成、播磨守。室は内藤政次の娘。子女は大田原高清室。 寛永11年(1634年)、父の領内より6,000石分知をされ、旗本寄合席、三根山領主となる。その後、暇を乞い、三根山に赴く。男子に恵まれず、万治元年の死に臨んで弟の牧野忠清が養嗣子となり、家督を継いだ。また、養女(花輪宗親の娘)を牧野忠成(越後長岡藩2代藩主)の継室としている。享年42、法名は一山。芝西応寺町(東京都港区芝2丁目)の西応寺に葬られ、以後代々の葬地となる。 == 関連項目 == * 三根山藩 * 越後長岡藩#長岡藩主牧野氏の支藩 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野定成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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