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牧野 富成(まきの とみしげ)は、丹後田辺藩の第2代藩主。丹後田辺藩牧野家3代。京極家の田辺藩初代藩主京極高三の娘婿である。 寛永5年(1628年)、大身旗本(のち下総関宿藩主)牧野信成の八男として生まれる。寛永18年(1641年)に徳川家綱の小姓に任じられ、明暦元年(1655年)に兄で初代藩主の親成の養子となる。 延宝元年(1673年)9月29日、兄の隠居により家督を継ぐ。日光祭祀奉行、延宝9年(1681年)8月には奏者番に任じられた。しかし隣藩の宮津藩との領地境界争いでは、江戸幕府の裁定により貞享4年(1687年)に敗れている。 元禄6年(1693年)に田辺で死去した。享年66。跡を甥で養子の英成が継いだ。 とみしけ category:譜代大名 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野富成」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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