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牧野忠良(まきの ただよし、慶応3年12月4日(1867年12月17日) - 昭和8年(1933年)10月2日)は、明治末期から昭和初期の華族。三根山(嶺岡)藩主、牧野忠泰の娘の千代子の養子。伊予国宇和島藩主伊達宗城の七男。幼名五十若。 明治15年(1882年)、牧野忠泰の死去にともない、娘千代子が牧野家の当主となった。明治17年、牧野家は女性戸主のために爵位を授けられなかった。明治24年(1891年)12月、伊達忠良は牧野千代子と結婚し、牧野家の当主となった。それにともない、子爵を授けられた。跡は健之助が継いだ。 墓所は多磨霊園。 == 栄典 == * 1891年(明治24年) *12月24日 - 子爵〔『官報』第2548号「授爵叙任及辞令」1891年12月25日。〕 *12月26日 - 従五位〔『官報』第2550号「叙任及辞令」1891年12月28日。〕 * 1896年(明治29年)12月21日 - 正五位〔『官報』第4046号「叙任及辞令」1896年12月22日。〕 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野忠良」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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