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牧野 英一(まきの えいいち、1878年3月20日 - 1970年4月18日)は、岐阜県高山市出身の法学者。専門は刑事法。元東京帝国大学名誉教授、元東京商科大学(一橋大学の前身)名誉講師。従二位勲一等瑞宝章。 == 人物 == 1878年岐阜県高山市の旅館主の家に生まれる。牧野良三(政治家で法務大臣等を歴任)は弟。妻は海軍軍人坪井航三の娘。 穂積陳重から法律進化論を、梅謙次郎から自然法を、富井政章から比較法を学び、その学問上の業績は、全ての法学に及ぶが、特に刑法における主観主義・新派刑法学の大家として木村龜二とともに知られている。民法学の泰斗我妻栄の師の一人でもあり、牧野の自由法学、法規の社会的作用に関する見解は、我妻理論・体系に大いなる影響を与えている。 後に「語学の神様」と呼ばれ、英独仏伊西等7か国語を自在に駆使し、イェーリング、ジェニー、サレイユ等を原文で読み、広い教養を有する法思想家でもあった。 趣味は和歌で佐佐木信綱を師匠とする会に属し、1958年の正月には歌会始に参加している。 晩年に白梅学園短期大学(保育科で知られる)の学長を務めたのは姪が東京都同胞援護会で母子福祉に携わっていたことが縁といわれている。 孫は哲学者・ドイツ語学者の牧野紀之。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「牧野英一」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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