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牧野貞成 : ウィキペディア日本語版
牧野貞成[まきの さだなり]
牧野 貞成(まきの さだなり、文亀2年(1502年) - 永禄5年8月28日1562年9月26日))は、戦国時代東三河地方の武将国人領主。牛久保城主第2代、通称は民部丞右馬允・新二郎〔参考文献の1、『新訂 寛政重修諸家譜 第6』(巻第三百六十四・牧野)266頁。〕。牧野成勝の子(実は牧野成種出羽守)の子〔下記参考文献の2、『藩翰譜』227頁所載、「牧野」系図。〕、成勝の養子となる)。
== 概要 ==
牧野貞成は東三河の国人のひとつとして、また第二代の牛久保城(愛知県豊川市牛久保町)城主として、三河国宝飯郡を中心に支配領域を持ったが、一方では永正3年(1506年)の侵入以来、東三河地方に進出を始めた今川氏の勢威に父成勝の代には既に服していた。
しかしその後は、他の東三河の国人衆とともに松平氏今川氏織田氏→今川氏→徳川氏と従属・離反を繰り返した。そのため中途の弘治2年(1556年)2月には今川義元により牛久保城主の地位を追われ、一族で親今川派の牧野成定に代わられた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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