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物々交換(ぶつぶつこうかん、、バーター)とは、物品と物品を直接に交換すること。「物」とあるが、無形のサービスについても使う。 == 概説 == 貨幣などの媒介物を経ず、物やサービスを直接的に交換することである。交換の基本形態である。 例えば、村や街の市場(いちば)で、芋を大量に持っている人が、服を大量に持っている人に、芋と服を交換することを持ちかけ、交換する割合やその量といった内容について合意できたら、物々交換が行われる。 また市場以外でも、何らかの物品を大量に持っている人が家々、街々を巡りつつ物々交換を行うという方法がある。例えば芋を大量に持っている農家の人が、その芋の山を馬車や車の荷台に積み、街まで行き、人々に「芋いらんか~」などと声をかけ、欲しいと言った人に何を交換物として出せるか尋ね、提示された品物に応じて、それにふさわしいと農家側が考える芋の量を提示して物々交換を行う、という方法がある。家や街を巡るうちに、荷台にあった芋の山が、次第に様々な日用品や道具や衣類などに変わってゆくことになり、芋の山が必要な品々に変わった時点で自分の家へと帰る。 日本では第二次世界大戦(太平洋戦争)中に、しばしば物々交換が行われた。日本では食料が不足し、政府は食料品を配給制にしたが次第に配給される食料の量は減り、ついにはとてもではないが配給では人が生きてゆけないほどの量にまで減らしてしまった。そこで街に住む人々はしかたなく、自分が持っている物、例えば着物(特に、日常には用いない高級な着物や「嫁入り道具」として持ってきた着物)、装飾品、食器、骨董品、腕時計 等々等々、何でも交換してもらえそうな物を持って、汽車に乗り農村まで行き、農家めぐりを行い、自分が持ってきた物を農家の人の前に提示し、それを農家の側が評価して、米や野菜と交換したり、農家の側が交換を拒否したり、ということが行われた。日本全体では食料が不足していて、街ではすっかり不足してしまっていたが、農家にはまだ十分な米や野菜があったのである。その結果、農家の蔵には、高級な着物や骨とう品が山のように集まってくることになった〔そのあたりの状況は、NHKの連続テレビ小説「ごちそうさん」でも描かれた。〕。切迫した状況下、取引が全く成立しないと飢えてしまうような状況下にあるのはあくまで街の住人の側であり、農家の側からみれば、物々交換が成立しなくてもさほど困るような状況にはなく、街の人が次々に「助けて下さい」と懇願するように訪れるからその彼らの事情も考慮して(ある意味「情けで」)応じているわけで、基本的に、取引の場で主導権・決定権を握っているのは農家の側であった。 19世紀や20世紀初頭くらいまでは、様々な品目について頻繁に行われていた。 アンデス高地で開かれる市場(いちば)では、ほんの数十年くらい前まで普通に物々交換が主流で行われていた(最近は貨幣のほうが優勢になった)〔NHK BSプレミアム「天涯の地に少年は育つ アンデス 神の糸を刈る日」〕。 近年の先進国(やいわゆる「中進国」)では、貨幣への信頼が無くなったり、超インフレーションが起こったり、貨幣の発行が途絶えたりして、貨幣経済が麻痺した状況下で行われる。近年では、ソ連崩壊直後のロシアでの物々交換経済が顕著であった。正常に貨幣経済が機能していても、片方に支払い能力が乏しいとき、バーターとして、商品で支払われることがある。給料の現物支給なども、物々交換の一種である。 現代の先進国でも、植物について、定期的に物々交換の場が設けられることがある。ひとりひとりの栽培者の視点で見ると、特定の品種ばかりが大量に増える傾向があり、特定の品種が余ったような状態になっている。そういう人々がひとつの場所に集まり、互いに持っていない品種と物々交換すると、それぞれが持つ品種の数を増やすことができ、様々な植物を楽しむことができるようになり、互いにメリットがある。 物々交換は、貨幣の数値としては現れないので、単純な数字では把握しづらい。物品やサービスの種類ごとに分類すれば、局地的に統計をとったり、推計をすることは一応はできるが、いずれにせよ総量を把握することについてはなかなか難しい面がある。 また、物々交換に対し、税金をかけることは困難である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「物々交換」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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