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物部真事 : ウィキペディア日本語版
物部真事[もののべ の まこと]
物部 真事(もののべ の まこと)は、9世紀前半の日本の陸奥国にいた人物である。古代の名族物部氏の一員ではなく、東北辺境の軍団に勤務した一兵士である。
== 解説 ==
物部真事の名を記した木簡は、陸奥国の国府が置かれた多賀城の跡、城の西辺の外側に防衛施設として掘られた大溝の跡(SD1511溝)で見つかった〔『多賀城跡木簡』II、8頁。〕。
木簡(第362号・第363号)には、□を判読しがたい箇所として、「十月□□」「□□□人番長旅」「物部真事百五十」などとあった。□□は「上旬」、□□□は「八日三」と読める可能性がある。同時出土の他の木簡との対照から、物部真事は氏名不明の旅帥番長とした部隊に属していたと推定できる〔『多賀城跡木簡』II、52頁。〕。
番は交代勤務の交代集団で、この時期は百数十人で一つの番をなしていた。150は同時に出た他の木簡とも共通の数で、100束で借りた出挙の稲を150束で返すときの出納簿の可能性がある。そうすると、収穫後の10月上旬の8日に3人の兵士が返済したうちの一人が真事ということになる。年代については、出挙の返済利率が3割に下げられたことが確実な承和11年(844年)以前、また勤務期間が旬で簡単に区切れる60日だった承和10年(843年)以前が考えられる。当時の番勤務と出挙の実態を示す資料として重要である。〔『多賀城跡木簡』II、53-57頁。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「物部真事」の詳細全文を読む



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