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特殊作戦執行部(, SOE)とは、第二次世界大戦中のイギリスに設置されていた組織である。1940年7月22日、内閣の承認のもと(Minister of Economic Warfare)のが設立した。その任務はナチス・ドイツを始めとする枢軸国の支配下にあるヨーロッパ各地における諜報、偵察および不正規戦の展開、現地レジスタンス運動の支援などであった。 設立当初にはナチス・ドイツによる英国本土侵攻に備えた秘密対独抵抗組織である(Auxiliary Units)の編成もSOEの任務に含まれていた。 当時、SOEの存在はごく一握りの者しか知らされていなかった。これら少数の人物らはしばしばSOEを「ベイカー街遊撃隊」と通称し、他には「チャーチル秘密軍」(Churchill's Secret Army)や「非紳士的戦争省」(Ministry of Ungentlemanly Warfare)といった俗称でも呼ばれた。保安上の理由から、SOEの各部局は「合同技術委員会」(Joint Technical Board)や「相互勤務調査局」(Inter-Service Research Bureau)といった曖昧な秘匿名称が与えられていたり、場合によっては(空軍省)や海軍本部(海軍省)、(陸軍省)などの部局に偽装されていた。 SOEは英国の主要な同盟国であったアメリカ合衆国およびソビエト連邦の合意の元、これらの同盟国が特別に定める場合を除き、基本的に枢軸国および被占領国全域での展開が認められており、任務によっては中立国領内で活動する場合もあった。SOEが直接雇用していた構成員は13,000名ほどで、そのうちおよそ3,200名が女性であった〔Foot, ''S.O.E'', p.62〕。 第二次世界大戦終結後の1946年1月15日、SOEの解散が公的に宣言された。 ==歴史== ===起源=== SOEは第二次世界大戦勃発寸前の英国にて設置された3つの秘密部局を統合する形で改めて結成された。1938年3月にナチス・ドイツが行ったオーストリア併合の後、英国外務省はカナダ人の新聞王として名を知られた卿を課長としてEH課(Department EH)と呼ばれるプロパガンダ担当機関を設置する。さらに翌月、秘密情報部(SIS、通称MI6)はサボタージュやプロパガンダなど敵の弱体化を狙う不正規戦の調査を担当する部局として、ローレンス・グランド少佐(Lawrence Grand)を長とするセクションD(Section D)を設置した。秋になると戦争省がゲリラ戦の調査を公的な名目とする部局として、J・C・ホランド少佐(J. C. Holland)を長とするGS (R)を設置した。なお、GS (R)は1939年初頭にMI Rと改称されている。 開戦以前、これらの部局に割かれるリソースは決して十分ではなかった。また3部局とも活動の内容にいくらかの重複があった。セクションD部長グランドとMI R部長ホランドの両少佐は共にの将校で、交流もあったという〔Foot, ''S.O.E'', p.12〕。彼らは自らの部局の担当区分について話し合い、その結果MI Rは陸軍としての関与が可能な不正規戦に関する活動を、セクションDは完全な秘密活動を担当する事で合意した〔。 開戦の数カ月後、セクションDはロンドンの内に拠点を設置した。この時期にセクションDではドナウ川・鉄門渓谷における中立国からドイツへの戦略物資輸送の妨害作戦を計画したものの失敗に終わっている.〔Foot, ''S.O.E'', pp.15-16〕。MI Rでは対独抵抗組織の指導者向けのハンドブックなどの作成を行っていたほか、やの編成にも関与していた。独立中隊は国防義勇軍の隊員によって構成された敵後背地でのゲリラ戦・サボタージュ活動などを目的とした部隊であり、補助隊は枢軸国の英本土占領とその後の抵抗運動への投入を前提としたレジスタンス組織であった〔Foot, p.17〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「特殊作戦執行部」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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