翻訳と辞書
Words near each other
・ 特殊小型船舶
・ 特殊工作員
・ 特殊建築物
・ 特殊建築物定期調査・建築設備定期検査
・ 特殊建築物等定期調査業務基準
・ 特殊建築物等調査資格者
・ 特殊引火物
・ 特殊形質導入
・ 特殊心房筋線維
・ 特殊心筋
特殊急襲部隊
・ 特殊性
・ 特殊性炎症
・ 特殊情報
・ 特殊感覚
・ 特殊感覚勢力の法則
・ 特殊感覚活力
・ 特殊慰安施設協会
・ 特殊戦司令部
・ 特殊技術


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

特殊急襲部隊 : ウィキペディア日本語版
特殊急襲部隊[とくしゅきゅうしゅうぶたい]

特殊急襲部隊(とくしゅきゅうしゅうぶたい、(サット))は、日本の警察警備部に編成されている特殊部隊
SATはハイジャックや重要施設占拠等の重大テロ事件、組織的な犯行や強力な武器が使用されている事件において、被害者等の安全を確保しつつ事態を鎮圧し、被疑者を検挙することをその主たる任務としている。〔2012‐11‐24朝日新聞朝刊1社会〕。また、刑事部特殊犯捜査係だけでは対処できない凶悪事件にも出動する。
なお、特殊急襲部隊という名称は「Special Assault Team」を日本語に直訳したもので、正式な部隊名ではない。日本警察においてSATの正式な部隊名は特殊部隊であり〔警察庁通達「特殊部隊の再編強化について」平成8年4月1日乙備発第6号 〕、さらに所属する都道府県警察名を付けるため、警視庁特殊部隊千葉県警察特殊部隊などと表記されている〔警視庁組織規則に記載〕。
== 沿革 ==
1972年9月5日に西ドイツミュンヘンオリンピック事件が発生し、犯行グループによりイスラエル選手11名が殺害された。翌日の9月6日に警察庁は全国の都道府県警察に対して通達を出し、「銃器等使用の重大突発事案」が発生した際、これを制圧できるよう特殊部隊の編成を行う事とした〔警察庁次長発各都道府県警察の長宛通達「特殊部隊の編成について」昭和47年9月6日乙備発第11号〕。
1974年警察白書には、この通達で編成された部隊が紹介されており、以下のように記載されている。
一方、当時警視庁記者クラブ(七社会)に籍を置いた記者は、この特殊部隊について以下のように記載している。
警察庁の通達後、1977年9月28日にダッカ日航機ハイジャック事件が発生し、犯行グループは日本政府に身代金の支払いと、獄中メンバーの釈放を要求した。日本政府は犯行グループの要求を受け入れて身代金を支払い、超法規的措置により獄中にいたメンバーなど6人を釈放した。さらに、事件から約1ヶ月後の10月13日には、ルフトハンザ航空機ハイジャック事件が発生し、犯行グループは日航機ハイジャック事件と同様に、西ドイツ政府に身代金の支払いと、獄中メンバーの釈放を要求した。これに対して西ドイツ政府はミュンヘンオリンピック事件を教訓に創設した特殊部隊GSG-9(国境警備隊第9部隊)をハイジャックされた航空機内に突入させた。この突入によりGSG-9は犯人らを制圧し、人質となっていた乗員、乗客を無事救出した。
日本ではこれらのハイジャック事件を教訓として、GSG-9を参考にした対ハイジャック部隊の創設を後藤田正晴衆議院議員(元警察庁長官、後の内閣官房長官)が提唱した。さらに後藤田正晴の命令を受けた佐々淳行警察庁刑事局参事官(後の内閣安全保障室長)が西ドイツに赴いて交渉を行った。その結果、装備、訓練、ノウハウなどでGSG-9の全面協力を得ることになり〔『ザ・ハイジャック、日本赤軍とのわが「七年戦争」』(著者佐々淳行、文藝春秋、2010年)の「第二章『よど号』模倣犯ハイジャック」に記載〕、警視庁大阪府警察警察官数名が研修としてGSG-9や、イギリスのSASに派遣された〔『警視庁・特殊部隊の真実』(著者伊藤鋼一、大日本絵画、2004年)に記載〕〔『戦慄 昭和・平成裏面史の光芒』(著者麻生幾、新潮社、1999年)の『三菱銀行「梅川事件」の地獄絵巻』に記載〕。
1977年10月20日に警視庁では対ハイジャック部隊を創設するため、機動隊員の書類選考と面接を開始した〔。同年11月1日に警察庁は、ハイジャック対策を主要任務とする特殊部隊を警視庁第六機動隊と、大阪府警察第二機動隊に設置した〔平成9年 警察白書 第1章第2節3 我が国のテロ対策の現状〕〔。対ハイジャック部隊は創設当初、GSG-9と同じ装備を導入し、GSG-9の隊長を日本に招聘して訓練方法も学び、徐々に日本独自の訓練方法を考案していった〔『警視庁捜査一課特殊班』(著者毛利文彦、角川書店、2002年)の「第五章 刑事警察の特殊部隊」に記載〕。同部隊は、警視庁では特科中隊、大阪府警察では零中隊などと呼ばれており、1980年代初頭から警視庁の部隊はSpecial Armed Police、通称SAPと呼ばれていたが〔、部隊の存在自体を極秘としていたため、部隊名称も非公式なものであった。これらの部隊は1979年に発生した三菱銀行人質事件などに出動したが、創設から20年近くの間、部隊の存在が公表されることは無かった。その後、1995年全日空857便ハイジャック事件が発生し、SAPが出動したことにより、部隊の存在が初めて公表された。
1996年4月1日に警察庁の通達により、それまで存在していた各特殊部隊が公式部隊として強化、再編成される方針となり〔警察庁通達「特殊部隊の再編強化について」平成8年4月1日乙備発第6号。なお警察庁は同日に「銃器対策部隊の編成について」平成8年4月1日丙備発第50号という通達も出している〕、同年5月8日にはSpecial Assault Team、通称SAT という部隊名を定めて編成され、警察庁において隊旗授与式が行われた。授与式では、國松孝次警察庁長官が各隊の隊長に隊旗を授与した。SATは総員200名体制で警視庁、大阪府警察、北海道警察千葉県警察神奈川県警察愛知県警察福岡県警察に編成された。2000年に警視庁SATは、第六機動隊から警備部警備第一課に所属が移され、2001年に大阪府警察SATは、第二機動隊から警備部警備課に所属が移された。これにより、警視庁と大阪府警察のSATは、組織編成上、機動隊から独立した組織となった〔警視庁組織規則、大阪府警察組織規則に記載〕。道県警察のSATは機動隊に設置されている。
2005年9月6日には沖縄県警察にSATが編成され、沖縄県警察学校において隊旗授与式が行われた。また他の部隊も増員されたことにより、SATは総員250名体制となり、翌2006年にはさらに部隊が増員され、総員300名体制となった。なお各報道機関は沖縄県警察にSATが新設された理由について「米軍基地へのテロ対策である」と報道した。一方、沖縄県警察は報道機関の取材に対して「島嶼県で事件発生時に、本土からの部隊派遣に時間がかかることが新設理由。米軍基地の集中をめぐる『対テロ重点配置』ではない」と述べている〔『朝日新聞』沖縄版、2005年9月7日〕。
2000年代後半からSATは、銃器使用の立てこもり事件において特殊犯捜査係の支援を行っており、2007年4月には町田市立てこもり事件に警視庁SATが出動した。さらに同年5月に発生した愛知長久手町立てこもり発砲事件では、愛知県警察SATが出動したが、事件を統括指揮していた刑事部捜査第一課との連携や情報共有の不足から、隊員1名が犯人の放った銃弾により死亡した。警察庁は、この事件を教訓としてSATを支援する特殊部隊支援班(SAT Support Staff、通称スリーエス)を創設した。特殊部隊支援班は、都道府県警察刑事部との連携や警察本部長の補佐、警察庁との連絡調整を担当している。また警察庁は死亡した隊員が防弾ベストの隙間から被弾したことから、SATの装備品を再検証する方針であると発表した。
愛知立てこもり事件の発生以来、SATは報道機関に訓練を公開するようになり、2007年には警視庁SATが初めて訓練を公開し、2010年には神奈川県警察SATと愛知県警察SATが訓練を公開した。さらに2013年には千葉県警察SATが訓練を公開した。なお、2007年以降の公開訓練でSAT隊員が着用した防弾ベストは、上腕部を保護するプレートが追加されており、防護範囲が拡大されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「特殊急襲部隊」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.