翻訳と辞書 |
特殊慰安施設協会[とくしゅいあんしせつきょうかい]
特殊慰安施設協会(とくしゅいあんしせつきょうかい)は、第二次世界大戦後、連合国軍占領下の日本政府によって作られた同軍兵士の相手をする売春婦(慰安婦)がいた慰安所である。 英語では ' と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。 と言い、RAA の頭字語で知られた。直訳は「余暇・娯楽協会」であり、日本語の名称との間で意味が大きく異なる。 == 概要 == 日本を占領下に置く連合国のうちの1国であるアメリカ軍は、公娼制度を認めず慰安所を置かないことが判明しており、またイギリス軍やオーストラリア軍をはじめとするイギリス連邦軍も大量の将兵を占領任務に当てることから、これらの連合国軍兵士による日本の一般女性に対するレイプ事件が予測されたため、日本政府は「日本女性の貞操を守る犠牲として愛国心のある女性」(ニコラス・クリストフによる)を募集し、連合軍向けの慰安所を設立。総計55,000人(あるいは53,000人とも〔岩永文夫 『フーゾク進化論』 p.20-27〕)が集まった。 その後1946年に、ポツダム命令による公娼制度廃止の方針と、前アメリカ大統領(当時)フランクリン・ルーズベルト夫人エレノア・ルーズベルトの反対、加えて性病の蔓延を理由としてGHQにより特殊慰安施設は廃止された。特に性病に関しては、東京などを除けば衛生管理が不徹底だったため、敗戦の混乱と相俟って慰安婦の6割が梅毒など何らかの性病に罹患していた〔。 RAAとは別に、連合国軍の女性兵士用の「慰安夫」も存在した。百瀬孝らによれば、昭和21年に名古屋に進駐した女性兵士用に採用された男性は、内臓、眼、皮膚、血液、尿の検査を受け、松坂屋近くの木造アパートに数名の男性と一人一室が与えられ、半年間特定の女性伍長の専属になった。勤務は一日置き。食料は潤沢に与えられたが、体力的には過酷だったという〔百瀬孝監修『戦後の日本を知っていますか?』はまの出版 2007年 ISBN 978-4893614704〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「特殊慰安施設協会」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|