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犀川通船(さいがわつうせん〔「平成23年度 安曇野検定 ジュニア用検定テキスト(年表) 」より(2012年7月7日閲覧)。〕、)は、犀川を利用した水運(河川舟運)事業で、江戸時代後期の天保3年(1832年)、信濃国筑摩郡白板村の折井儀右衛門が江戸幕府の許可を得て開設した。かつて松本と上水内郡信州新町を結ぶ約60キロを7時間かけて下ったが、明治35年(1903年)に篠ノ井線が開通したことで衰微し、犀川沿いの陸路が完成したことで廃止された。 ==概要== 犀川は江戸時代終わり頃から水運が盛んになった。文献によると、犀川通船は天保3年(1832)から開始されたが、それまでに宿場筋からの反対が強く最初通船願が出てから実に94年を要している。 *元文4年(1739)の通船願 *延享4年(1747)~寛延元年の通船願 *宝暦10年(1760)の通船願 *安永6年(1767)の通船願 *文政5年(1822)~天保3年(1832)の通船願 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犀川通船」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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