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犬丸 徹三(いぬまる てつぞう、1887年〈明治20年〉6月8日 - 1981年〈昭和56年〉4月9日)は日本の実業家。元帝国ホテル社長。 元帝国ホテル社長犬丸一郎の父。 == 経歴 == 石川県能美郡根上村字福島(現能美市)に生まれた。父・犬丸六右衛門、母・いその長男〔『私の履歴書 経済人4』389頁〕。 小松の芦城小学校高等科〔『私の履歴書 経済人4』391頁〕、旧制小松中学校(現・小松高校)を経て東京高商(現・一橋大学)に入学。 1908年文部省が専門部廃止の方針を明らかにしたため、全学生がこれに猛反対し商科大学昇進を叫んで同盟休校敢行にまで発展した事件が起きた〔『私の履歴書 経済人4』399頁〕。犬丸は級友に選出され、ストライキ指導者の一人として校長に直接談判したり、文部省へ押しかけ大臣に面会を要請してひかなかった〔。その後、学校は欠席しがちとなり、禅と読書と政治演説に力を入れたため、成績はしだいにさがり、最後から数えて3番目の成績でかろうじて卒業した〔『私の履歴書 経済人4』399-400頁〕。 このため就職には苦労し、ようやく長春にある満鉄経営のヤマトホテルにボーイとして採用されホテル業界に入る。だが最初は客に頭を垂れ、慇懃(いんぎん)なる口調で語ることがなかなかの難事で、一言発するごとに顔面紅潮するのを押さえることができなかった。はなはだしく自尊心を傷つけられた気持で、絶えず劣等感に襲われた〔『私の履歴書 経済人4』402頁〕。 ヤマトホテルの三年間にボーイ、コック、金庫係り、スチュワードなどの仕事を経験した〔『私の履歴書 経済人4』403頁〕。 上海、ロンドン、ニューヨークのホテル勤務を経て、帝国ホテル常務で支配人だった林愛作に招かれる。1919年帝国ホテル副支配人となり、その後、常務、代表取締役、専務等を経て、1945年社長。1970年顧問となる。マッカーサーが着任した際には、焼け野原となった東京を視察する彼の運転手をした〔"The Incredible Power of Serendipity" by Boye Lafayette De Mente, Phoenix Books, 2012〕。 1981年4月9日に93歳で死去。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犬丸徹三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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