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犬甘久知 : ウィキペディア日本語版
犬甘久知[いぬかい ひさとも]

犬甘 久知(いぬかい ひさとも)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将犬甘政徳の三男。
犬甘氏大伴氏流とも伝えられる。
久知の名が文献に出てくるのは、天正10年(1582年)7月に、兄・政信信濃国筑摩郡での木曾義昌との戦で討ち死にし、久知が家督を継いだとの記録が初見。同年8月3日に小笠原長時の三男・貞慶が出した貞慶安堵状が残されており、それによれば久知の本領は安曇郡犬甘・北方・青嶋及び筑摩郡蟻ヶ崎(深志城の北部から北西部)に渡り、総貫高はおよそ900貫文と、家臣筆頭であった。その後も、同年中の仁科氏攻略(貞慶の怨恨戦)から高遠城攻め〔天正13年(1585年)に突如徳川家康の下から出奔した石川数正と共に、貞慶も家康の下を離れ豊臣氏についた。なお、高遠城では家康方の保科正直がよく防戦し、結局貞慶は高遠城を取ることはできなかった。〕まで数多くの戦で貞慶に従い出陣し、領内の統一に尽力したとされる。
久知は、小笠原氏3代(貞慶、貞慶の長男秀政、秀政の次男忠真)に仕え、秀政が家康と和睦し、下総国古河藩信濃飯田藩を経て慶長18年(1613年)、信濃松本藩に加増移封されると、筆頭家老として知行1600石を与えられた。大坂の陣には子・久信が秀政に従って出陣しており、その前後で亡くなったと思われる。
==注釈==



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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