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犬童頼兄[いぬわらべよりゆきけい]
犬童 頼兄(いんどう よりもり/よりえ〔池田こういち著『肥後相良一族』(新人物往来社、2005年)ISBN 4404032536では、「よりえ」としている。〕)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将。相良氏の家臣。後の失脚事件により、地元人吉では相良清兵衛(清ビア)の名前でも知られる。 == 生涯 ==
=== 黎明期 === 永禄11年(1568年)、肥後国南部の戦国大名・相良氏の重臣である犬童頼安の子として誕生した。 初めは延命院の稚児であったが、父・頼安が島津氏との戦いで水俣城を守った際に寺を抜け出して共に籠城したことから、以後は武将として仕えた。 家老・深水長智は頼兄の才覚を認めて、死去した嫡子の代わりに自らの後継にしようとしたが、竹下監物ら深水一族から慣例に背くと反対されたため、藩主・相良頼房の許しを得て、甥で養子とした深水頼蔵を奉行とし、頼兄をその補佐役とするように主張した。しかし頼房は、頼蔵よりも才気のある頼兄をむしろ信頼して、2人を同格の奉行とすることにした。しかし、これが原因で両者は益々不仲となった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犬童頼兄」の詳細全文を読む
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