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犬鳴御別館(いぬなきごべつかん)とは、現在の福岡県宮若市犬鳴に所在した日本の城である。建築当時の地名は犬鳴村。 == 概要 == ファイル:Inunaki_anex2.JPG|搦手門跡 ファイル:Inunaki_anex3.JPG|加藤司書忠魂碑 犬鳴御別館は慶応元年(1865年)に、福岡藩家老職の勤王派加藤司書によって建てられた。当時、福岡城は海岸の近くに所在したため、外敵との戦争が起きた時に敵艦隊の砲撃から藩主を匿う目的で築かれた。しかし、藩主である黒田長溥や佐幕派には秘密で建設されていたこともあり、犬鳴御別館が藩内に明るみに出ると、佐幕派などから「もしも倒幕が認められない場合は藩主を御別館に幽閉して藩の実権を握ろうとしている」と謀反の疑いをかけられた結果、勤王派の大弾圧事件「乙丑の獄」が起こり、建築主の加藤司書も切腹した。 その後、無事に犬鳴御別館は完成したが、福岡藩知事になった黒田長知が藩内視察で犬鳴村に訪れた際に一度宿泊しただけで、あとは放置され明治17年(1884年)に、暴風により倒壊した。近年の調査により、近隣の民家などの一部に倒壊した御別館の資材が再利用されていることが確認されている。 正面から右側に大手門があり、左側には搦手門と石垣、城内には庭園跡と司書の忠魂碑が残されている。別館は福岡藩で最後に作られた城として貴重とされており、史跡として宮若市指定文化財にも登録されている〔宮若市役所-福岡藩犬鳴別館「宮若市指定文化財(史跡)」 〕。 古文書によれば、城内に藩主館、城外には長屋と宝蔵、火薬蔵があったとされる。東側には西山連山の峠などの5箇所に番所を築くと記されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「犬鳴御別館」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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