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狂乱物価[きょうらんぶっか]
狂乱物価(きょうらんぶっか)とは、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争に端を発した第一次オイルショックによってもたらされた、1974年の日本の物価の異常な高騰のこと。名付け親は政治家の福田赳夫。 既に1973年からの列島改造ブームによる地価急騰で急速なインフレーションが発生していたが、第一次オイルショックにより相次いで発生した便乗値上げ等により、さらにインフレーションが加速されることとなった。総合卸売物価は1973年で15.6%、1974年で31.4%上昇し、消費者物価指数は1973年で11.7%、1974年で23.2%上昇、1974年の実質GDPは-0.2%となった〔伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、90頁。〕。春闘での賃上げ率は1973年で20%、1974年で33%上昇した〔伊藤修 『日本の経済-歴史・現状・論点』 中央公論新社〈中公新書〉、2007年、102頁。〕。 狂乱物価は、スミソニアン協定で設定された限度ぎりぎりの円安水準に為替レートを維持するため金融緩和を持続したことが、インフレをもたらした〔円高は経済政策の失敗が原因だ SYNODOS -シノドス- 2010年10月13日〕。 == 学者の見解 ==
「日本銀行調査月報」(1973年6月)は、1970年代に入ってからの貨幣の増加の原因について「金融機関の貸し進みによるものであった」と述べている〔田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、142頁。〕。 経済学者の小宮隆太郎は、日本銀行のオイルショック前の行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めの遅れが、企業・労働組合などに製品価格上昇・賃上げを走らせたとしている〔田中秀臣 『経済政策に歴史を学ぶ』 ソフトバンク クリエイティブ〈ソフトバンク新書〉、2006年、190頁。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狂乱物価」の詳細全文を読む
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