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狩野章信[かのう おさのぶ] 狩野 章信(かのう おさのぶ、明和2年(1765年) - 文政9年10月2日(1826年11月1日))は、江戸時代中期から後期に活躍した狩野派の絵師。江戸幕府御用絵師を勤める表絵師浅草猿屋町代地狩野家5代目。幼名は仙次郎、のち外記。名は彰信、50代で章信と改める。号は大玄齋、素川(そせん)だが、章信と署名するようになってからは、両者とも用いなくなったという。 狩野派にありながら浮世絵美人画にも学んだ、洒脱で機知に富んだ独特の画風は「素川風」と評された。 == 略伝 == 浅草猿屋町代地狩野家は、狩野永徳の弟子・祖酉秀信を祖とする表絵師の家系である。4代目の寿石賢信から継いだが、実父は宇多川徳元だとされる。1800年(寛政12年)数え36歳で若隠居し、花街での遊蕩を好んだ。吉原の老妓の門弟も多かったという。粉本に依らない軽妙洒脱な画風で人気を博し、当時の狩野派内で最も有力だった狩野栄信のライバルと言われた。居宅に高楼を建てる趣味人で、『画道伝授口訣』という著作もある。 章信はいつも手ぬぐいを頭に被り脱がなかったという逸話が残るが、これは田沼候に招かれる際の出来事が元になっているという。自分は寒がりなので頭巾を外せないが、それでも良ければ参上すると答のが認められ、諸人がこれを真似たという。文政9年(1826年)死去、62歳。 弟子に、6代目の寿石圭信、川越城の杉戸絵を手掛けた舩津蘭山など。また、増上寺の「五百羅漢図」で知られる狩野一信も章信に学んだと言われる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「狩野章信」の詳細全文を読む
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