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独仏休戦協定[どくふつきゅうせんきょうてい]
独仏休戦協定(どくふつきゅうせんきょうてい)は、1940年6月22日、ナチス・ドイツとフランスとの間で締結された休戦協定。「1940年6月22日の休戦協定」等の呼び方もある。 ナチス・ドイツによるフランス侵攻(1940年5月10日-6月21日)がドイツの圧倒的な勝利で終わったことを受けて、1940年6月22日18時50分、フランスのオワーズ県コンピエーニュの近くの森で締結された。この協定により、イギリス海峡全域や大西洋に開けた港湾を含む北フランスのドイツによる占領が確定し、それ以外の地域がフランス政府の「自由な」統治に残された。アドルフ・ヒトラーは休戦の調印地として、意図的にコンピエーニュの森を指定した。そこは、第一次世界大戦の終結の際、ドイツが降伏の調印を行った象徴的な場所であった。 == フランスの戦い ==
フランス軍で最も近代化された最強の部隊は北方に送られており、ドイツ国防軍の包囲下に置かれたため、結果としてフランスはその最強の大型兵器と機甲部隊を失うこととなった。5月から6月の間、フランス軍は全面的な敗走状態にあり、ドイツ軍はパリを脅かしていた。 フランス政府はドイツ軍に捕らわれるのを避けるため、6月10日にボルドーへの移転を余儀なくされ、パリは無防備都市を宣言した。政府内では和平派が主導権を握り、6月17日にフィリップ・ペタンが首相になると、ドイツに対して正式に休戦を申し入れた。 6月22日までにドイツ国防軍は戦死27,000、負傷111,000以上、行方不明者18,000の損害を出したが、対するフランス側の損失は戦死92,000、負傷200,000以上に上った。イギリス海外派遣軍(BEF)も68,000以上の損失を記録した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「独仏休戦協定」の詳細全文を読む
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