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狭穂毘売 : ウィキペディア日本語版
狭穂姫命[さほひめのみこと]

狭穂姫命(さほひめのみこと、生年不詳 - 垂仁天皇5年10月薨)は、日本皇族
記紀に伝えられる垂仁天皇の最初の皇后(垂仁天皇2年2月9日立后)で、皇子誉津別命(本牟智和気御子)の生母。同母兄に狭穂彦王(沙本毘古)がおり、垂仁天皇治世下における同王の叛乱の中心人物。『日本書紀』では狭穂姫命、『古事記』では沙本毘売命、または佐波遅比売命に作る。
父は彦坐王開化天皇の皇子)、母は沙本之大闇見戸売(春日建国勝戸売の女)。同母の兄弟として狭穂彦王の他に袁邪本王(次兄。葛野別・近淡海蚊野別の祖)、室毘古王(弟。若狭耳別の祖)がいた(『古事記』)。
ちなみに垂仁天皇の次の皇后である日葉酢媛命は彦坐王の子である丹波道主王の女であり、姪に当たる。
春の女神で同名の佐保姫とは無関係。佐保姫の項、参照。
==狭穂彦王の叛乱==
『古事記』中巻の垂仁天皇記と『日本書紀』垂仁天皇4・5年条において語られている。特に『古事記』中巻では倭建命の説話と共に叙情的説話として同書中の白眉とも評され、また同じく同母兄妹の悲恋を語る下巻の木梨之軽王軽大郎女の説話と共に文学性に富む美しい物語とも評されている〔次田真幸全訳注『古事記』、講談社学術文庫、1977 - 84年。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「狭穂姫命」の詳細全文を読む



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