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猪俣党[いのまたとう] 猪俣党(いのまたとう)は、武蔵国那珂郡(現在の埼玉県児玉郡美里町の猪俣館)を中心に勢力のあった武士団。武蔵七党の一つ。小野篁の末裔を称す横山党の一族である。 分布地域は二つに分かれ、神流川扇状地の条理地域と利根川南岸の旧河道の間の台地上で、当時の条里水田に立地したものと思われる〔柴田孝夫『地割の歴史地理学的研究』(古今書院、1975年)239頁〕。 保元の乱や平治の乱、一ノ谷の戦いで活躍した猪俣小平六範綱と岡部六弥太忠澄が有名。 == 猪俣小平六範綱 == 猪俣小平六(いのまた こへいろく、? - 1192年11月(建久3年11月)は猪俣党の頭領であり、四代の子孫である。保元の乱で源義朝に仕え、平治の乱では源義平の下で軍功をあげた十七騎の雄将として知られている。また源頼朝・源義経にも仕え、一ノ谷の戦いで平盛俊を騙し討ちにしたとされている。猪俣小平六の死後、始まりの時代は不詳だが、一族の霊を慰めるため猪俣百八燈という行事が毎年行われている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猪俣党」の詳細全文を読む
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