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猪原 大華(いのはら たいか、1897年(明治30年)2月17日 - 1980年(昭和55年)2月5日)は日本画家。広島県深安郡(現福山市)出身。本名は寿(ひさし)。花鳥草木を得意とした。 == 略歴 == 1897年(明治30年)2月17日、広島県深安郡(現・福山市)八尋村にて地主農家の生家に生まれる。 1915年、18歳のとき画家を志し広陵中学校(現・私立広陵高校)を中退。伯父を頼って大阪に出た折に金島桂華を知る。1918年京都市立絵画専門学校別科(現・京都市立芸術大学)入学。在学中の1921年、第3回帝国美術院展覧会(帝展、現日本美術展覧会、日展)にて初入選。1923年卒業し同校研究科へ進むも、1929年退学、同年同校嘱託教員となる。絵は初め土田麦僊に学び、1930年3月、福田平八郎・山口華陽と共に1カ月間中国へ旅行し研究に努めている。同年8月、京都市立美術工芸学校工芸科(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)嘱託教員として転勤。 1936年6月10日の麦僊死去により翌1937年西村五雲の西村五雲晨鳥社へ入塾。1937年京都市立美術工芸学校工芸科正教諭。1938年9月5日、五雲が没し晨鳥社が閉校すると、五雲塾員らで新たに晨鳥社を結成し後進の指導にあたった。1950年、京都市立美術工芸学校工芸科を依願退職。 教職に就いた後も継続して作品出品を続けており、1942年第8回京都市展で緑賞、1950年第1回全関西総合展にて佳作賞、1952年京展紅賞を経て1954年第10回日展および1958年第1回新日展にて日展特選・白寿賞を受賞、1964年紺綬褒章受章、1972年第4回改組日展にて「浄池」が総理大臣賞、1973年第5回改組日展の出品作品「清明」が翌1974年日本芸術院賞恩賜賞受賞、同年勲三等瑞宝章受章、同年日展参与。ほかに京都市文化功労賞、京都府美術工芸功労賞なども受賞している。 1979年2月16日、広島県深安郡神辺町より名誉市民の称号を贈られた。現在は福山市名誉市民。 1980年(昭和55年)2月5日、胃がんにより京都府京都市中京区の病院にて死去、82歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猪原大華」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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