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猪口敏平 : ウィキペディア日本語版
猪口敏平[いのぐち としひら]

猪口 敏平(いのぐち としひら、1896年明治29年)8月11日 - 1944年昭和19年)10月24日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将戦艦武蔵」最後の艦長として知られる。
== 経歴 ==
鳥取県鳥取市出身。大工棟梁・猪口鉄蔵の長男として生まれる。鳥取中学校(現鳥取西高校)を経て、1918年大正7年)11月、海軍兵学校46期)を卒業し、翌年8月、海軍少尉任官海軍砲術学校の高等科、専攻科で学んだ。戦艦「日向分隊長、砲術学校教官、軽巡洋艦鬼怒」砲術長、第2水雷戦隊参謀、砲術学校教官、戦艦「扶桑」砲術長、連合艦隊参謀、軽巡「球磨」副長、砲術学校教官などを歴任し、1939年(昭和14年)11月、海軍大佐に進級した。同じく海軍軍人であった弟の猪口力平との区別のため、海軍内では兄は『口敏(チョコビン)』、弟は『口力(チョコリキ)』と呼ばれていた。
以後、給油艦石廊」艦長を経て、太平洋戦争開戦時は砲術学校教頭。『キャノン・イノグチ』という名前で海外にも知られる程の砲術理論権威で、軽巡「名取重巡洋艦高雄」の各艦長、横須賀鎮守府付、横須賀砲術学校教頭などを経て、1944年(昭和19年)8月、戦艦「武蔵」の第4代艦長に就任し、同年10月15日、艦長在任のまま海軍少将に進級。世界でも珍しい「提督艦長」となる。10月24日、レイテ沖海戦において、戦闘中に負傷した後、乗艦「武蔵」はフィリピンシブヤン海撃沈され、猪口艦長は退艦せず「武蔵」と運命を共にした。戦死後に1階級特進し、海軍中将となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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