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猪子利男[いのこ としお]
猪子 利男(いのこ としお、1921年5月24日 - 1998年5月26日)は、愛知県中島郡一宮町(現:一宮市)出身のプロ野球選手。 == 来歴・人物 == 東邦商業では春夏合わせて5度の甲子園に出場し、第16回選抜野球大会ではレギュラー遊撃手として優勝を経験した。 1941年に南海軍へ入団し、1942年には33犠打を記録している。これは当時のプロ野球記録でもあり、1965年に近藤昭仁(大洋)が41犠打で更新するまで、23年間も破られなかった。また、長年球団記録でもあったが、2009年に川崎宗則が43犠打、2010年には本多雄一が50犠打で記録を更新した。〔福岡ソフトバンクホークスの記録 〕 1944年に応召。終戦後は福井県の紡績会社で働いていたが、1948年に函館太洋倶楽部へ入団し、主将として都市対抗野球大会へ出場するなど1952年までプレーした。 その後も、函館太洋倶楽部創部90年を記念して設立されたOB会の初代会長に就任するなど、後進の指導に力を入れていたが、1998年5月26日に死去した〔オーシャン人物伝 猪子利男 〕。77歳の誕生日を迎えた2日後のことであった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「猪子利男」の詳細全文を読む
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